「 色喰夜会 」 第 三 話 | |
和葉の腰に手を回して細いカラダをぐいっと引き寄せると、小さな手がオレのコートの背中を掴んだ。 バリアフリーとか何とか言うてても、長い歴史を持つこの大学には中心部分を除いて結構段差や悪路が多い。 古くからある研究棟なんかやとエレベーターすらない所もあるくらいやから、目ぇ見えへん人間への配慮が遅れとるんも当然で、和葉にとっては不自由な事この上ないやろう。 せやけど、それも今のオレには丁度ええアイテムやった。 「段差や、ちょおコッチ寄り」 腰に回した手と言葉とで和葉を誘導しながら、ゆっくりと構内を歩く。 誘導だけやったら普通に腕に掴まらせればええ所を、周りに見せ付けるためにわざと大袈裟なまでにひっついとるんやから当然やけど、そこここから面白いくらいに悲鳴が上がった。 「平次……」 和葉が不快そうに眉を寄せた。 視力を失ってから音に対して前よりも敏感になっとる和葉には、あの煩いオンナたちの甲高い声が神経に障るんやろう。 「もう暫く煩いやろけどな、ちょお我慢せえや」 「……せやけど」 「それとも、オレがあんなオンナ共に囲まれとってもええんか?」 「イヤや。そんなん、絶対にイヤ」 「ほんなら、我慢出来るやんな?この散歩が終わったら、すぐに篭に戻したるから」 「……んっ」 和葉に言い聞かせながら、空いとる右手で髪を直してやる影で形のええ耳たぶに軽く爪を立てる。 聞き分けのええ和葉は、その小さな痛みに甘い息を零して大人しくオレの肩に頬を摺り寄せた。 その途端またどこからか悲鳴が上がったが、きっちり無視して谷川の待つ教室へと向かう。 さっき谷川が言うとったように、法学部の有志でやっとる茶店の前の廊下は幾つも出来たオンナ共の塊が占領しとって、奥の教室使って店出しとる連中から苦情が来るのもしゃあない有様やった。 「遅なってスマン!」 オンナ共の塊の合間にこの茶店のマスター役を買って出た友人の姿を見つけて声を掛けると、そこに居た連中が一斉にコッチを向く。 「あ!……」 「服部く……ん」 上がりかけた甲高い声の合唱は、一瞬で静かになった。 「服部!遅いで!」 「スマンて」 「彼女が噂の奥さんか?谷川がエラい騒いどったけど……」 何事も形から入るモンやと、白いワイシャツに黒い蝶ネクタイとエプロンをつけた友人の横山が、そこで不自然に言葉を途切れさせた。 それとは対照的に、静かになったハズのオンナ共がざわつく。 「服部和葉です」 それを気にも留めずに、和葉はオレのコートを掴んどった手を離してきちんとカラダの前で揃えると、にっこり笑って会釈した。 「あ、横山裕太です」 慌てたようにぺこぺこと頭を下げた横山が、コクリと喉を鳴らした。 「オレもホール入るわ。その前に、コイツのためにテーブル1つ借りるで?」 「あ、ああ」 和葉を促して、即席の茶店になっとる教室に入る。 数える程しか客の居らんかった店は、釣られるように入って来たオンナ共ですぐに一杯になった。 「ここで待っとり」 敵意の籠った鋭い視線を送ってくるオンナ共に見せ付けるように和葉の額にキスを落として、コートを脱がしてやってカウンター代わりになっとる長机に一番近い席に座らせる。 調子のええ横山が、すかさずメニューを差し出して来た。 「えーと、和葉さん?何か飲みます?それとも、ケーキがええかな?」 「あ、あの……」 「ああ、代金は旦那さんから貰うよって、好きなん注文してや?」 「チョコレートケーキに紅茶や」 制服代わりの揃いのエプロンを着けながら口を挟むと、横山は不満そうな声を上げた。 「服部、オマエには聞いとらん。俺は奥さんに聞いとるんや」 「あの、平次が言うたのを……」 「遠慮せんと、折角やし旦那さんにガッツリ払わせたらええわ。ほら、このパンケーキとアイスのセットとか、オススメやで?」 「ごめんなさい。アタシ、メニュー見えへんから……」 和葉が、声を頼りに横山の方へ顔を上げてすまなさそうに笑う。 「あ、いや、ゴメン。チョコレートケーキと紅茶やね」 横山がまたコクリと喉を鳴らして、それを誤魔化すかのように厨房代わりのカーテンの奥に消える。 入れ替わりに、盆にケーキと紅茶を載せた谷川が現れた。 「いらっしゃい、和葉さん。チョコレートケーキと紅茶と、このクッキーは俺の奢りや」 「ありがとう」 にっこり笑う和葉に、谷川はまた固まる。 谷川も横山も、初めて見たという以上に和葉を気にしとるし、その視線に邪なものが混じっとるのは多分気のせいやない。 それでも、2人とも和葉がオレの女房や言うのはわかっとるし、篭に戻してしまえば接点もなくなるんやから、今は放っておいてもええやろ。 それよりも、ざわざわと煩いオンナ共を黙らせるのが先決や。 「これがクッキーの皿で、これがケーキの皿。フォークはココ。紅茶はコッチや」 和葉の後ろに回って抱き込むようにしながら両手を包み込んで、皿やカップの位置を教える。 煩かったオンナ共が、一斉に口を噤んだ。 「紅茶は熱いから気ぃつけや?フォーク使うんが不安やったら、オレが喰わせたるから待っとり」 こめかみにキスをしながら、周りに気付かれへんようにこっそりと、和葉の掌を傷にならへんくらいに引っかいた。 「ええ子にしとり」 「うん……」 和葉の耳元でひっそりと囁いて、オレは盆とオーダー票を手に見事なまでにしんと静まり返ったホールを見渡した。 |