和葉がそれを知ったのは本当に偶然だった。
部活のあとミーティングがあるという平次とは教室で別れ、帰りにケーキバイキングに行こうと誘ってくれた友人の小枝子が部室に寄りたいと言うのに付き合って行った美術室前の廊下で、何となく窓から空を見上げていたら不意にそれが耳に入ってしまったのだ。

「……服部先輩……」

最初聞こえたのは、その名前だけ。
いや、その名前だからこそ、ぼんやりと空を見ていた和葉の耳に入って来たのだろう。

美術室があるのは、特別教室棟の2階。
美術室や音楽室や化学室が並ぶ特別教室棟は、普段なら放課後でもそこを部室として使う文化部の様々な音で溢れていて、その声も消されていただろう。
けれど、学園祭が終わった今は一斉に休部になったため人影も殆どなく、一度意識してしまった会話は和葉の耳を素通りしてはくれなかった。

「ホンマに!?」
「ホンマやて!服部先輩、OKやて!」
「やったぁ!」
「告った子ら尽く玉砕しとるし、1日だけのデートでもええゆうても付き合うてくれへんて聞いとったから、めっちゃ嬉しい!」

窓の外、きゃあきゃあと女の子たちの嬉しげな笑い声が上がる。

「あ、でも、服部先輩来ると……」
「大丈夫!今回は剣道部の部員だけてなっとるから!」
「グループゆうのはちょおアレやけど、チャンスやん!」
「そうそう!思いっきりアピールせな!」
「ハロウィンやし、ちょお気張っても浮かないやんな?」
「美紀ってば、何着る気ぃなん?」

楽しげに話す女の子たちの華やかな笑い声が、窓の下をゆっくりと横切っていく。

「お待たせ!」
「あ……」
「どうかしたん?」
「ううん。さ、ケーキ食べに行こ」

美術室から出て来た小枝子が、どこかぼんやりとしている和葉に訝しげな視線を向ける。
それを明るく流して、和葉は昇降口へと小枝子の肩を押した。

「やっぱり、何かあったんやろ?その顔は服部やな?」
「え?」

小枝子の声で、和葉ははっと顔を上げた。
時間帯のせいか女学生で賑わっているスウィーツ店、運良くあまり待たされずに席に案内されて色取り取りの一口ケーキをテーブルに並べて楽しくお喋りしているつもりだったのに、いつの間にか和葉の手が止まり俯いてしまっていた。

「私が2皿目なのに和葉はまだ1皿。これで何もないとは言わせへんよ?」

2皿目と言いながらも既に残す所2個となっている小枝子が、テーブルの片隅に寄せられた皿をフォークで示す。
いつもなら美味しいケーキと楽しいお喋りで同じように皿を並べているのだ。

「別に、何って事やないんやけど……」

艶のあるチョコレートケーキを口に運びながら、和葉は自嘲するようにため息をついた。

「アタシってダメダメやんな……」

今年のハロウィンは日曜日。
クリスマスやバレンタインのようないかにもな恋愛イベントではないが、女の子が意中の相手を誘う口実にするには不足はない。

いや、口実などいくらでも作り出せるのだ。
それを実行するかどうかは別にして。

そして、実行出来るのがあの女の子たちで、行動に移せないのが和葉。

幼馴染というのは心地良い。
平次が和葉の居場所を作ってくれているから尚の事、そのぬるま湯のような心地良さが捨てられない。
そのくせ、さっき会話を耳にした下級生たちのように自分に正直に行動出来る女の子に嫉妬して、時には自分の気持ちを汲んでくれないと平次に苛立ちさえ覚えてしまう。

そんな我侭な自分をわかっていながらも、和葉は動けない。
どう動けばいいのかわからない。

「ダメダメでもええやん、別に。外野からは何とでも言えるけど、恋愛なん自分が決めなしゃあない事やし」
「うん……」
「せやけど、1つだけお節介。『後悔』て苦しいモンやて、お兄ちゃんが言うてた。当たって砕けたらそら痛いけど、あの時ああしてればていつまでも引き摺ってんのはもっと辛いて。まあ、私のお気楽兄貴の言う事やから、どこまで信じていいんかわからへんけどね」

にっと笑って、小枝子が2皿目最後のケーキを口に運んだ。

「服部の事はとりあえずどっかに置いとき。今はケーキ補給が私らの使命や。さ、食べるで!」
「うん」

小枝子はいつも、あまり和葉と平次の間に踏み込まずにさり気なく気を使ってくれる。
その心遣いに、和葉は小枝子にだけ聞こえるように小さく『ありがとう』と感謝を告げた。

秋の日は釣瓶落し。
綺麗な夕焼けをお供にちょっと食べ過ぎたお腹を宥めようと2人でウィンドウショッピングをしているうちに、あたりはすっかり暗くなっていた。

「あ……」
「なに?」
「メール」
「もしかしてお父さん?」
「ううん、平次。ハラ減った、さっさと帰って来いやて。オバチャンおらんらしいわ。もう、何様なん?」
「あははは。すっかり家族やねえ。新婚さんやのに引き止めて悪かったわぁ」
「そんなんちゃう!!」
「元気出たやん」
「あ……」

友人たちからよく投げられる、いつものからかいの言葉。
さっきまでならきっと白い顔をしたまま沈んだ声しか出せなかっただろうが、今は自分でもわかるくらいに頬を赤らめて慌てた声を上げている事に、和葉ははっとしたように目を見開いた。

「和葉のカンフル剤が服部やゆうのはとっくに知っとったけど、こんな劇的に効くなんびっくりやわ」
「小枝子のアドバイスが良かったからや!それと、ケーキ!」
「まあ、そーゆう事にしといたる。さて、旦那さんがお待ちかねみたいやし、さっさと帰ろ?」
「せやから!」
「あんな……」

にんまりと笑って背を向けた小枝子が、思い出したかのようにくるっと振り向いて真剣な眼差しを和葉に向けた。

「私らまだまだ子供で経験も足りひんから、恋愛てこーゆうモンやて頭で考えてわかった気ぃんなっとるやん?せやからその通りにしたなるけど、マニュアルなん役に立たへんのが恋愛なんやから、本当に好きなら自分の気持ちに正直になればええんや」
「……」
「これもお気楽兄貴の受け売り。でも、確かにそうやなて思う。和葉は服部にアタックしてくる女の子たちとはスタート地点が違うんやから、その子らと同じ事しようと焦らんでもええんやないかな?」
「……うん。ありがと、小枝子」
「いえいえ、これにて小枝子先生の恋愛講座終わり……て携帯、もしかしてまた服部?」

和葉の手の中で震えながら、キラキラとイルミネーションでメールの着信を知らせる携帯。
送信者は平次だった。

「うん。どこにおるんや?やて」
「はいはい、すぐ帰しますて」

小枝子が、携帯に向って呆れたようにため息を落とす。
顔を見合わせて一頻り笑うと、2人はそれぞれの家路へとついた。

「あと10分か……」

バスの時刻表を確認して、和葉は電話をしておこうと持ったままだった携帯を開いた。
呼び出し音1回で出た平次の声がいつも通りなのが嬉しくて、思わず頬が綻ぶ。

「もう、今帰るて」

勇気と覚悟の足りない自分には、ロマンスを語るにはまだ早いのだろう。
でも、多分これからも平次の事になると視野狭窄を起こして固まったりするのだろうが、絡まった糸を解すための手掛かりは自分の手の中にあるのだと小枝子が気付かせてくれたから、きっと大丈夫。

自分の中に根付いた小さな自信を見失わないように、和葉はすっと背筋を伸ばした。





ハロウィンはあんまり関係なくなっちゃいました(汗)。
反省するところは幾つもあるんですが、幾つもありすぎて懺悔が間に合いません。
一言で現すなら「ピュアって何?」でしょうか(笑)。
月としては久しぶりの高校生片想い和葉、楽しんで頂けたなら嬉しいです。
by 月姫



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ロマンスにはまだ早い
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