− キリ番「3000」リクエスト −
■ 只今留守にしております ■ by 月姫
 
カーテンから零れる眩しい陽射しと活気のある賑やかな街の喧騒に、ふわふわと浅い眠りの中を漂っていた和葉は漸く目を覚ました。
枕元にある目覚まし時計は、昼まであと1時間程だと告げていた。
 
「よう寝たなぁ……」
 
小さな欠伸をして、それでも起きる気はないとばかりに、和葉は改めて薄いブランケットに潜り込んだ。
 
知人からのたっての頼みで、その人の友人から少々面倒な依頼を受けたのは1週間前。
人間関係やら利害関係やらが複雑に絡まって犯罪の気配まであったその依頼は、ある程度の目星をつけてからはスピード勝負と判断して徹夜続きになった上に、最終的には逆切れした犯人と格闘までして昨夜遅くにようやく解決した。
依頼人には感謝されその場で完了の確認も終わらせたので、今日は久しぶりの休暇だった。
 
「……あれ?」
 
折角の休暇なのだからたまには思いっきり惰眠を貪って……と、ベッドでころころしていた和葉が何かに気付いたようにふと声を上げた。
 
依頼人の所から帰って来たのは、日付が変わってから。
汗や埃が気持ち悪いと、眠気でぼんやりしながらも風呂に入ってドライヤーを使った所までは、和葉も覚えている。
ただ、そこで記憶はぷっつりと途切れていた。
 
「えーと……」
「風呂から出て来たんはええけど、ソファに座るなりぱったり眠り込んでもうたから、ベッドに放り込んだったんや」
 
何とか記憶を辿ろうとしている和葉の背中から、欠伸交じりの声が届いた。
 
「平次?」
 
その声にころんと寝返りを打った和葉の眼前至近距離に、平次の顔があった。
驚いて飛び起きようとした和葉の腕を引っ張って、平次はもう一度彼女をベッドに転がした。
 
「おはよう」
「お、おはよう……って、何でアンタがここに居るん?」
「何でて、ここはオレの部屋やろ。そこから記憶にないんかい」
「えーと……」
 
依頼人の所から帰って来る車の中ですでにうとうとしていた事は否定出来ないが、風呂に入った事は和葉もちゃんと覚えている。
それなのに帰って来たのが平次の部屋だったのを覚えていないという事は、その時にはもう半分眠っていたのかもしれなかった。
 
「暢気なオンナやなぁ。いつか目ぇ覚めたら知らん部屋なんてやらかしそうで、頭痛いわ」
「しゃあないやん、ずっと寝不足で眠かったんやから」
 
呆れたように大袈裟にため息をついて見せる平次に、和葉はブランケットに顔を埋めるようにしながら拗ねたように唇を尖らせた。
いくら目が覚めてからもうとうとしていたからと言っても、何の違和感もなく自宅だと思っていたのが我ながら情けない。
ここはもうすっぱりと起きて日常に戻してしまうのが得策と、思い切ったように平次に背を向けて半身を起こした和葉が、ちょっと裏返った声で悲鳴を上げた。
 
「きゃあっ!何すんのん!?」
「何て、目の前にこんなモンがあったら引っ張ってみたなるのが人情やろ?」
 
しれっと言ってのけた平次の指には、和葉がパジャマ代わりにしていたキャミの肩紐。
細い紐は平次の指の動きに合わせて、素直に和葉の滑らかな肩を滑り落ちた。
 
「ちょお離して!」
「イヤや」
 
いつの間に起き上がったのか、後ろからがっちりと和葉の腰をホールドした平次が、もう片方の肩紐に指を掛ける。
そのまま胸が露になるまで引き下ろせば和葉の両腕を軽く拘束するような形になって、昼間という環境も相まって少々倒錯的な気分に浸れるだろう。
たまにはそんなシチュエーションもいいと、平次が指を滑らせようとした時、リビングにある電話がその存在を主張し始めた。
 
「あ、電話……」
「ほっとけ」
「せやけど、依頼だったらどうするん?」
 
下の探偵事務所を閉めている時は、そこへの電話はこの部屋の電話に転送されるようにしてある。
この部屋の電話番号を知っているのは平次と和葉の他にはそれぞれの親だけだから、電話が鳴るとすればほぼ間違いなく事務所へのものだった。
 
「今日は休業や」
「せやけど……」
「依頼なら留守電にメッセージ残すなりFAX入れるなりするやろ」
「そらそうやけど」
 
和葉が電話に気を取られているのをいい事に、平次はするりとキャミの肩紐を引き下ろす。
 
「あ、ちょお待って!」
 
慌てて和葉が平次の手を抑えると、それを待っていたように規則的なコール音が途切れて、代わりに耳慣れた留守番メッセージが流れた。
 
『はい、服部探偵事務所です。只今留守にしております……』
 
事務所を開いた時に和葉が吹き込んだメッセージの後、戸惑うような間があって小さく『また電話します』とだけ聞えて通話は切れた。
 
「な、大した事ちゃうやろ?」
「ホンマは大変な事かもしれへんやん?」
「それやったら、また電話して来るやろ」
 
肩紐を押える和葉の手を捕えて、平次は邪魔物のなくなった彼女の肩にちゅっとキスを落とした。
 
「……仕事好きの名探偵殿のセリフとは思えへんね」
「名探偵は只今留守にしとるんやで?」
「居留守やん」
 
くすくすと笑って、和葉は空いている手で平次の髪を一房指に絡め取ると、つんと軽く引っ張った。
 
「名探偵殿は留守なん?」
「せやで」
「ほんなら、ここに居るのは誰なん?」
「服部平次様やろ」
「様は余計やん」
「コラ、痛いやろ」
 
大して痛くもないが、つんつんと髪を引っ張る和葉の指が邪魔で肩にしか悪戯出来ないのがもどかしくて、平次は彼女の腰に回していた手を緩めて弱点の1つである脇腹を擽った。
魚のように身体を跳ね上げて悲鳴を上げた和葉が、するりと平次の拘束から逃れる。
それでも片手を捕えられたままだったので、結果的に和葉は平次の腕の中でくるりと反転しただけで、またすぐに彼に拘束されてしまった。
 
「また電話掛かってくるで?」
「留守やからしゃあない」
「もう、駄々っ子と変わらんやん」
 
ほうっと小さく息をついた和葉が、ちょと首を伸ばして平次の顎をちろっと舐めた。
 
「相変わらす生傷絶えへんよね」
 
昨夜の犯人との格闘で、平次の顔には幾つかの擦り傷が出来ている。
どれも手当てすらいらないくらいの軽いものばかりだが、和葉は消毒するかのようにそっと舌を這わせた。
 
顎、頬、額……。
 
熱く柔らかな舌で傷をなぞり最後にちゅっとキスをして、はい終わりと和葉は悪戯っ子を宥める姉のような顔で平次の肩を押した。
 
「ゴハン作ったげるから、エエ子にしとり」
「お子様ならそれでええんやろけどな……」
「……ん」
 
和葉の細い両手首を纏めて押えると、平次はたった今自分に触れてきた彼女の唇をゆっくりと味わうように舐め上げ甘噛みした。
 
「誘っときながら逃げるんはナシやで」
 
服部探偵事務所に名探偵殿が戻って来るのは、間違いなく明日になった。



「仕事明けにはゆっくりいちゃいちゃ……もアリですよね。」 by 月姫

material by アトリエ夏夢色