*シリアスなのでご注意下さい*
■ 深夜の依頼 ■ by 月姫


平次がそのホテルに着いたのは、指定時間の午前零時丁度だった。
駅に程近いこのホテルはビジネスユースが多いのか、深夜だというのにロビーは賑わっている。
この状況を知っていてこのホテルを指定したのかどうかはわからないが、宿泊客でもない平次が自然に客室フロアを歩くには都合が良かった。
 
入り口正面にあるエレベーターで6階まで上ると、平次は改めて携帯を確認した。
ロビーに入るのと同時に平次の携帯に届いたメールには件名もなく、本文にはただ『602』とだけ記されている。
その数字と部屋のプレートナンバーを見比べて軽くノックをすると、誰何の声もなく静かにドアが開かれ、この部屋を指定した依頼人が無言で平次に入るようにと促した。
 
「久しぶりやな」
「ああ」
「こうして会うんはオレが大学出て以来やから、5年ぶりか?」
「そうだな」
 
視線だけで椅子を勧めた依頼人は、備え付けの冷蔵庫から缶コーヒーを取り出して平次の前にそのまま置くと、自分は距離を取るようにベッドに腰掛けた。
 
「オレに依頼したい事て何や、工藤?」
「コナンだ」
 
平次の言葉を、依頼人は即座に否定した。
 
「俺は『江戸川コナン』だ。間違えるな」
「ああ、そうやったな」
 
目を逸らしたまま、それでも強い口調で言い切った依頼人に、平次はため息のような声を零した。
 
平次の目の前にいるのは、まだ男になりきれていない、保護者を必要とする未成年の少年。
その彼が本当なら平次と同い年の青年だと知っているのは、あの『事件』に深くかかわったほんの一握りの人間だけだった。
 
「それより、彼女には気付かれてねえだろうな?」
「ああ、アイツなら心配いらんて。今日は定時で終わらせて帰らせたし、親父さんも早上がりやったらしいから、今頃は家でのんびりしとるやろ」
「一緒に住んでんじゃねえのかよ」
 
そう言って皮肉気な笑みを口元に上らせた新一は、一つ息をついてやっと平次へと目を向けた。
 
『頼みがある』
 
それだけのメールが平次の元に届いたのは10日前。
最近は滅多に連絡を取る事もなくなった親友からのメールに即座に了承の返事をすると、新一は日時や場所の指定以上に『和葉に知られない事』を強調してきた。
それはイコール『蘭に知られてはならない事』だ。
 
和葉は、蘭にとって園子とはまた違った意味での『親友』だ。
大学を卒業してからは会う機会も殆どなくなっていたが、今でも定期的に連絡を取り合っている。
それがわかっているからこその指示に、平次には新一が切り出すだろう依頼の内容が察せられた。
 
「服部」
「ちょお待ち」
 
暫し言いよどんで漸く口を開いた新一を押し留めるように、平次が片手を上げた。
 
「予め言うとくけどな、オレは『工藤新一』を殺すための依頼なら受けんで?」
「……」
「図星やろ?」
 
平次の指摘に、新一は唇を噛み締めて俯いた。
 
「オマエが『江戸川コナン』になれるんやったら、協力したってもええけどな」
「俺は『江戸川コナン』だ」
「いや、オマエは『工藤新一』や。せやから、こんな依頼しようとしとる」
「そんな事は……」
 
新一は弱弱しく首を振ったが、それが否定にはなっていない事は彼自身にも良くわかっていた。
 
『工藤新一』は、難しい依頼に係わって10年前から姿を消している。
高校時代の新一を平成のホームズと持て囃した世間はもう彼の事を忘れてしまっているが、それでもまだ帰りを待ち続けている人がいる。
その人を『工藤新一』から開放するために、彼女が信頼する人物からその『死亡』を伝えて欲しい。
そう考える事こそが、自分がまだ『江戸川コナン』になりきれていない事を示していると、新一にもわかっているのだ。
 
「オマエはまだ『工藤新一』を捨てられへん。『江戸川コナン』なん架空の人物の戸籍すら偽造出来るようなヤツなら、医者の死亡診断書くらい簡単に偽造出来るやろ?ホンマに『工藤新一』を捨てる気ぃあるんなら、とっくにやっとるハズや。せやのに、未だに両親すら何の動きもせえへん。それは、オマエがまだ『工藤新一』を捨てられへんからや。違うか?」
 
平次の、静かだが有無を言わせない力強い声が、新一の仮面を砕く。
苛立ったように髪を掻き毟ると、新一は力の限りベッドに拳を叩き付けた。
 
自分から捨てる事が出来ないから、誰かに無理やり取り上げて欲しい。
蘭のためなどと言い訳してはいるが、結局は自分がするべき決断を誰かに肩代わりしてもらいたいだけの我侭だ。
平次はそれに気付いているからこそ、新一の依頼を受けないと跳ねつけているのだ。
 
「あの姉ちゃんの気持ちは、彼女だけのモンや。他人がどうこう出来るモンとちゃう。それくらい、オマエにもわかっとるやろ?」
「……」
「姉ちゃんが誰かに心を移したんやったら幸せになるように全力で応援したるし、オマエがホンマに『江戸川コナン』になるつもりならどんな嘘でも真実に見えるように協力したる。せやけど、今はそのどっちでもない。そんな中途半端な依頼、とてもやないけど受けられんわ」
 
話は終わったとばかりに、平次が立ち上がった。
 
「……服部」
「何や?」
「いや……何でもない」
 
俯いたままの新一が何かを言いかけて、けれど何も言えないままに口を閉ざした。
 
「またな、工藤」
 
最後にそう言い残して、平次が部屋を出る。
今では平次だけが口にするその名前を、新一は否定出来なかった。



「たまには少しシリアスに。ちょっと暗くなっちゃったかな?」 by 月姫