■ 迷宮探偵 ■ by 月姫
 
服部平次は悩んでいた。
彼の27年という人生で、恐らくはTOP5に入るだろうという程に悩んでいた。
 
「はい、コーヒー」
「ん……」
「どうしたん?今抱えとる依頼て、そんなに難しかったっけ?」
「いや……」
 
いつものように小休止にしようと和葉が淹れてくれたコーヒーにも口をつけずに、平次はぼんやりと手元の調査書類を眺めている。
 
別に、難しい依頼を抱えているとか、仕事上での困り事があるとか、事務所の経営状況が思わしくないとか、そんな事ではない。
いや、この自他共に認める名探偵には、そもそもそんな悩みは無用と言ってもいいだろう。
迷い猫の捜索から浮気調査に事件捜査までそれこそ依頼は引きも切らずだし、警察にも政財界の関係者にも(実はちょっと危ない方面にも)それなりのパイプやらツテやらも持っているから、仕事は順調だ。
あえて言うなら、少々顔が売れすぎて、隠密行動が難しい事くらいだろうか。
 
趣味と実益を兼ねた仕事は順調、美人の助手兼恋人もいる。
この恵まれた現状に、何を悩む必要があるのか。
誰もがそう思うだろうが、それでも彼は悩んでいた。
それこそ、事務所の前の道路を走り抜けたパトカーのサイレンの音にすら反応しないくらいに。
 
「郵便局行って来るけど、何か買うて来るモンある?」
「いや……」
 
話し掛けても上の空で生返事しか返さない平次に、今は何を言っても無駄と悟ったのか、和葉は『留守番お願い』と言い置いて茶封筒の束を抱えて事務所を出て行く。
ドアの閉まる音に続いた軽い足音が消えるのを待って、平次は上着の内ポケットから封筒を取り出した。
 
「……はぁ」
 
重たいため息をついて、平次はがっくりとデスクに突っ伏した。
 
素っ気無い長4の茶封筒に入っているのは、婚姻届。
この迷宮なしの名探偵殿を迷宮のどん底に突き落としてるのは、1枚の紙だった。
 
「どう切り出したらええねん……」
 
どんな事件もすっきり解決すると言われている名探偵が、真面目に真剣に悩んでいるのがコレというのも間抜けな話だが、平次にとってはどんな難事件よりも厄介だった。
 
恋人に結婚を切り出すのに何を躊躇しているのか、お互いの愛情は確認出来てるのだから断られる可能性は殆どないのだし、さっさとプロポーズしてしまえばいい。
周囲からすればその程度の事なのだが、平次にはそれこそが大問題なのだ。
 
知り合って27年、恋人と言えるようになって10年。
この長い時間がネックだと、平次は心底そう思っている。
 
「今更て思われそうやん……」
 
言い出しそびれて既に5年、ちょっぴり焦りが出て来てからでももう2年。
いっそのこと、告白した勢いで一気に婚約から入籍まで持ち込んでおいたら良かったのかもしれない。
……あの、娘激ラブの和葉の父親との対決は考えない事にして。
 
それこそ今更だったが、後悔先に立たず。
 
「はぁ……」
 
デスクに懐いたまま、平次はまた大きなため息をついた。



    「プロポーズは計画的に(笑)。」 by 月姫