■ 黄泉がえり ■ by micky


(また…あの嫌な夢や)

このリアルな白昼夢で、目が覚めるは何度目やろうか。



ホンマはオレ…あの時に死んでしもうてたんちゃうか。
それとも、ただの記憶喪失なんか。

一度、途切れてしもうた記憶は、歳月が過ぎてた今も思い出されへんまま。


和葉……今(これ)が現実やんな?







「…うなされてたけど、怖い夢でもみてたん?」
覗き込む長い薄茶の髪の先が、汗が乾いたオレの頬に微かに触れる。

「か…ずは」
「どうした…ん。あっ!」

すぐ傍にある白い腕を掴んで、強引に抱きしめた。


「ちょ…平次、仕事中」
「…ええから…このままで…」

探偵事務所のソファ上。

高鳴る心臓を落ち着かせようと和葉を抱きしめたままで、ゆっくりと深呼吸をした。









灰色の雲は月を隠し、妖しい群青を辺り一面に放っている。
古い屋敷の納戸の壁。
黒く飛び散った血の跡。

「ハァハァ…ガハァ!」

オレの胸に刺されたナイフを犯人(そいつ)に一気に抜かれ、激痛と流血を必死に抑えていた。

一気に視界が霞む中、後ろの壁に凭れかかりながら這うように、隠れてるいるはずの和葉の姿を探す。


(逃げろ…逃げるんや…和葉!!)

和葉が隠れている場所はここから離れている。
せめてこの状況に気がついて、一人で逃げてくれればと…。


その時、部屋の隅で小さな物音がした。
(誰や…まさか!?)



「平次…そこにおんの?」


今一番聞きたくて、そして一番聞いてはいけないその声。

「アカン!入ってくるな!逃げてくれ!!」
「なんで?………あっ…」

オレを刺した犯人が和葉の方へとゆっくりと近づく姿が見えた。


多分オレは逃げろとかやめろとかそんな言葉を力の限りに発しながら、犯人の方へと近寄っていたと思う。


不敵な笑みを浮かべ、犯人はその刃物を躊躇せずに振り下ろす。




死の恐怖に瞳いっぱいに涙を溜めながら、オレの方へと手を伸ばす和葉の姿。
「か…さ……平次……助けて…」




なぜ、あの時…オレは和葉を守れるという自信があったんやろう。
なぜ、あの時…一緒に行きたいと言う和葉を隠して、オレは一人で犯人を捜しに行ってしもうたんや。
なぜ、あの時…オレは和葉の手を離してしもうたんや。


なんで……オレなんかと出会ってしまったんや。






目の前で崩れていく和葉の姿と、月の明かりに照らされて黒く光る刃物。

オレは声を失くしたまま、犯人の顔面を素手で力の限りに思いっきり殴った。


何度も…何度も…顔の原型が無くなるくらいに。

不思議と自分の拳に痛みは感じへん。

自分が生きているとか、死んでいるとかそんなもんない。

ただ、大切な人を守れなかった自分が、犯人への憎しみに重なって止まらへん…。



壁の黒い血の跡が増していく。
まるで今の自分のようや。




なぁ、神さん。
おるんやったら、何でもええ、オレのすべてさえくれてやるさかい…。

和葉を救ってくれ。

誰か…誰か…和葉を…タスケテクレ。

ナンデモ…クレテヤルサカイ。








遠くで響く…ドアを蹴り飛ばす音が微かに聞こえた。
「警察や!観念せぃ!平ちゃん、和葉ちゃん…無事……か」



血に染まった部屋の隅でオレは和葉を大事に抱きしめていた。

「大…滝ハン……和葉…和葉……頼む………わ」



―そこでオレも意識を失ったんや―







アカン…オレ、死んだんかな。

息苦しいような、体が重いような。

ここは地獄やろか…。

道もなければ、上も下もない。

一面に広がる暗闇の中を何日も彷徨いながら過ごしていた。




どのくらい歩いたんやろ。





闇の世界に一筋の光が、突然差し込んだ。
まるで映画のスクリーンをみているかのようや。






目の前の女の子は誰やろ。


光と桜が降り注ぐ景色。
手毬を突きながら……数え唄や。
可愛らしい声に、薄化粧。
しかし一瞬吹いたその風に、少女は攫われていった。



真っ暗な場所に一筋の太陽の光。

ここは蔵の中や。
2人の子供がおる。
なんや手錠で遊んで、危ないで…ほらな、繋がってしもうた。


真白い雪の中。
足を挫いた女の子を背負う男の子がおる。
照れてるんか?
でも2人とも楽しそうやな。
足元にも気ぃつけて下りるんやで。


ここはビックカメラ前か。
誰かを待っている女の子。
えらい長い事待たして…悪い男やで。



急に強い風が下から吹き上がる。

崖から落ちそうになった時、女の子がとっさに庇ってくれた。
手を離すんやないで。
その女の子はお前の命の恩人や。
大事な大事な人や。








せやけど…この子…誰やったけなぁ。













それからすぐに闇から目覚めたが、体は重いまま。
病室のベッドの周りには2人の人影があった。

「平次…分かるんか?」
「……へ…いじ」
そうや…オレ……平次いう名前や。
名前を呼んでくれたこの人が、オカンで…隣で黙っているのがオトン。


周りの一つ一つを確認しながら、オレは自分を確かめていく。


「オレ…なんでここに?」
「事件に巻き込まれて…アンタ、2週間眠りっぱなしやったんよ」

「…そんなに眠ってたんか…って、痛ッ!」
「今は無理せずゆっくりしいや。…思い出すのはその後でも遅うないさかい」

事件か…。
そうか、確かオレ探偵やってたんや。
一人でずっとやって…いや、違う…なんか…影がある。
いつも一緒にいた、もう一つの影が…。






誰かが病室のドアをノックした。


「ホンマ?…平次が目を覚ましたって」

まさにピッタリとその影に当てはまるシルエットが、目の前の女の子やった。


「平次。和葉ちゃんな。一度心肺停止になりかけたけど、無事に回復したんやで」
「か…ずは?」


思い出されへん。


彼女の事も…事件の事も…。


オモイダシタイ?


…オレは彼女を知っている。

それだけは分かるんや。








ナンデモ…クレテヤルサカイ…タスケテクレ。

頭の隅で小さく響く悲しい声。






あぁ…その言葉が鍵やったんなら…彼女を助けてもらえたんやったら…。

それやったら…もう記憶はいらへんな。

願いはかなったんや。











オレらの関係は、記憶を無くしたことで、すべてがリセットされた。
彼女との記憶はオレには何もなくて、「和葉」と呼ぶにはちょい時間がかかった。

それでもその名前を呼べば、懐かしさや安心感が心を満たす。


そして彼女がオレの名前を呼んでくれる時も…。


それから一緒の時を過ごして、今にいるんや。









「平次…落ち着いたん?」
「あぁ…スマン」
オレの腕からスルリと抜けて、大きく背伸びをしてみせた。


「仕事をチャッチャと片付けて飲みにでもいかへん?…勿論、平次のおごりでな。残業代それでチャラでええわ」
「……ったく、人使いの荒いやっちゃなぁ…過労死したら責任とってもらうで」


「そん時は……また神さんに平次を生き返らせてって頼むし、きっと大丈夫や」
「……お…まえ」


オレに笑いかけると和葉は自分のデスクへと向かい、黒ブチの眼鏡をかけてPCを打ち始める。

暫く呆然としたオレも頭を掻きながら、デスクの上の資料に手を伸ばす。




もう白昼夢は見なそうやな。





なぁ…神さん。








「昔、書こうと思った長編を短編にしてみました」 by micky