■ 靴の音 ■ by 月姫
 

最近、和葉の様子がおかしい。
事務仕事は普通にこなしとるし、助手としてくっついて来た時も別にヘマなんしとらんけど、妙にそわそわしとるて言うか、何となく落ち着きがないように見える。
特に夕方近くんなると、もう何でそんなにて思うくらいに時計を気にしとるし、定時になった瞬間にバッグ引っ掴んで事務所を飛び出して行く。
 
まさか、オトコか!?
 
この歳んなってナンパもない……とも言い切れんあたりがあのオンナのタチ悪いトコやし。
実際、この間の依頼人もやけに和葉ん事気に入っとって、給料倍出すとか言うて引き抜こうとしとったしな。
まあ、コレはナンパちゃうけど。
 
……オッチャンの紹介、か?
今時27で独身なん珍しくもないんやけど、オレのオカンも和葉んトコのオバチャンもこの歳にはもう子持ちやったし、嫁き遅れとるとか何とか心配して府警の若手連れて来たとか。
ありえすぎて笑いにもならん。
いや、オレらがガキん頃から酔っ払うたんびに『オレの目の黒いうちは嫁にはいかせん!』て宣言しとったあの娘激ラブのオッチャンやし、それはない……とも言い切れんか、さすがに。
 
それとも、転職考えとるとか?
こんな不規則な職やなくて、もっと堅い仕事につきたなったとか?
いやいや、それはない……ハズや。
 
グダグダ考えとってもしゃあないか。
ここはやっぱり、平手覚悟で本人問い詰めるんが近道やな。
 
只今、時刻は退勤30分前。
やっぱり和葉はチラチラと時計を見とる。
今日はきっちり足止めして、洗いざらい吐くまで帰さへん。
覚悟せえや、和葉。
 
内心ぐっと拳を握り締めて、せやけど表面上はさり気なく、まずは和葉を足止めするべく切り出した。
 
「和葉」
「なに?」
「今日、残業頼むわ」
「え?」
 
オレの指示に、自分のデスクで仕事しとった和葉の手からバサバサと書類が落ちて、慌てて集めなおしながらチラリと時計を見た。
残業頼んだくらいで何やねん、その反応。
なに動揺しとんねん。
やっぱり、オトコとデートか?
 
「し、仕事、押してたっけ?」
「追加の資料がいるんや」
「そ、そうなんや」
「何や?何か予定でもあるんか?」
「ううん、そうやないけど……。なあ、それって明日じゃアカン?」
「和葉」
「な、なに?」
 
そう広くはない事務所やから、オレと和葉のデスクの距離はほんの数歩分。
犯人追い詰める時みたいにゆっくり近づくと、和葉は気持ちエエくらいに固まった。
 
「オマエ、何隠しとるんや?」
「え?」
「最近、ずっとそわそわしとったよな?」
「え……えと……」
「デートなら、正直にそう言えや?オレも鬼やないし、時間の都合はつけたんで?」
「……え?」
「それとも、どこぞでバイトでもしとるんか?転職する気ぃなら、早目に言うてくれんと、コッチにも都合あるから困るで?」
 
和葉のデスクに片手をついて、じっとその目を覗き込む。
濡れたような瞳に浮かんどったのは、怯えと不安やった。
 
「……で、どうなんや?」
「あ……あんな……」
 
言い辛そうに口ごもる和葉に、視線だけで先を促す。
 
「あんな……デートとか転職とか、どこから出て来たんかわからんけど、そんなんやなくて」
 
どこぞのオトコとデートやとか、転職したくて職探し中とか、その辺は一応否定されて、内心ほっと息をつく。
 
「そんなら、何や?」
「……笑わんと聞いてくれる?」
「内容によるな」
 
オレの返しにむっとしたように一瞬眉を顰めた和葉は、それでも諦めたように口を開いた。
 
「あんな、ここって……出るやん?」
「は?」
「……出るんよ」
「何が?」
「せやから……幽霊」
 
思いがけない言葉に、がっくりと肩から力が抜けた。
一旦口に出したからか、和葉は堰を切ったように話し出した。
 
「この間、夜中にここで平次の帰り待ってた時にな、階段上って来る足音が聞えたんよ」
「そら、上にも住人は居るし、夜中に帰って来るヤツもおるやろ」
「それがな、すぐにまた下りてきて、ずっと階段行ったり来たりしとったんよ。そんで恐なって、事務所の鍵は閉めてあったから、仮眠室で鍵閉めて閉じ篭ったん。そしたら、今度は事務所ん中歩き回っとる音が聞えて来たんよ!」
 
小さな拳を握り締めて、和葉はその時の恐怖を力説する。
 
夜中に階段行ったり来たりて、そう頻繁にあるとは言えへんけど、かといってないとも言えん。
たまたま、上に住んどる住人がフラついとっただけやろ。
事務所ん中から聞えたんも、コンクリ造りの建物は特に夜中は音が響くからそう聞こえただけやろうし。
そう言うたところで、この血の気の引いた青い顔で涙目になっとるオンナは納得せえへんやろな。
 
要するに、オバケが恐くて明るいうちに帰りたかったと。
確かにな、和葉はガキの頃から幽霊みたいなようわからんモンとか暗闇とか苦手やったけどな。
 
何や、色々考えとった自分がアホらしなった。
 
「わかった。残業はええから、今日は泊まっていけ」
「イヤや!」
「恐いんは事務所なんやろ?」
「やって……平次の部屋て、このすぐ上やん」
「オレは足音なん聞いた事ないし、大丈夫や」
「せやけど……」
「四の五の言わんと、来い!」
 
いい加減面倒になって、和葉の腕掴んで無理やり立たせる。
すぐにでも帰れるようにと、キッチンやら何やらは和葉が確認しとったから、後は入り口の鍵を閉めるだけや。
 
「イヤや!!帰る!!」
 
無駄な抵抗を試みる諦めの悪いオンナを荷物みたいに担ぎ上げて、強制的に部屋に連行する。
ここ暫くの和葉の意味不明な行動でオレのストレスも溜まりまくりやし、そろそろきっちり解消させてもらわんとな。
 
「イヤやて言うとるのに……」
 
部屋に入って鍵を閉めてチェーンまで掛けて、それでも和葉はびくびくと階段の方を気にしとる。
何をするにも傍に居ろと、命令口調で懇願するくらいにビビっとる。
折角やし、今夜はそんな和葉を堪能したろ。
 
気の強い和葉の数少ない弱点を見事に突いた、騒動とも言えないこの騒動。
終わり良ければ全て良しとなるように、きっちり帳尻合わしたる。
 
……となるハズやったんやけど。
 
ここは3階。
寝室に使っとる部屋の窓の外に、ベランダはない。
せやのに、コンクリの上を歩き回る足音が聞えるような気がする。
 
気のせいやな。
和葉に聞いた話が頭に残っとるだけや。
寝てもうたら勝ちやで。
 
オレにしがみつくようにして眠っとる和葉を抱き込んで、眠る事に集中する。
 
和葉があんまり恐がるようなら、事務所の場所変えなアカンかなぁ。
眠りに落ちる直前に、何となくそんな事を思った。
 


    「夜中の事務所にオバケは憑き物(笑)。」 by 月姫