本日、2月14日 現在の時刻は……PM9時半ジャスト…… 自室の机に向かい、ノートにペンを走らせている和葉の機嫌は――最悪だ。 和葉がご機嫌斜めな理由は、まあ、説明せずとも分かって頂けよう もう一度言うが、本日は2月14日だ。 2月14日といえば、そう「バレンタイン」である。 日本中の女性が、意中の男性へと自分の想いを乗せて、チョコレートを渡す日で、クリスマスに次いで恋人達の最高のイベントでもある。 ご多分に漏れず、和葉も今日この日を楽しみにしていた一人だ……が、昨夜遅くに届いた一通のメールによって、その楽しい気持ちもドキドキの高揚感も、全てが一蹴されてしまった。 机の片隅に鎮座している携帯を手に取る。 メールフォルダを開き、件のメールを表示させる。 『事件が起こったさかい今から行ってくる。明日のノート頼む!』 たったこれだけのメールを寄越して以降、まったくもって連絡が取れないのは、和葉の幼馴染であり、想い人でもある――服部 平次その人である。 高校生探偵なんぞを名乗っており、事件と聞けば鉄砲弾のように飛び出していき、約束をしていても、遅刻ドタキャンは後を絶たず、一切の連絡もなく、待ち惚けを食らわせられた経験は……数を知れない。 そんな男と根気強く付き合うこと十数年。 遅刻・ドタキャン・待ち惚けを食らわせられる事に、慣れというか諦めに近いような感覚が芽生え、多少の事は多めに見てあげれる余裕を持てたような気はするが……苛々やムカムカといった負の感情を完全に押さえ込むことは、中々難しく連絡が取れた瞬間に怒りをぶつけてしまう事もある。 特に、こんな「特別」な日には――何の変哲もない、通常の日常で約束をはこにされる事は、まあ我慢も出来るが、年に数回しかない「特別」な日にまで、それをされると堪忍袋の尾も切れるというものだ。 別に本日が2月14日だからと約束をしていたわけではないが、この日が女性にとって特別な日である事は、誰もが知っている周知の事実というもので、思いを込めて作ったチョコを渡す事も出来ずに終ってしまうと言う事は、余りにも切なく、悲しいものだ。 携帯を閉じ、椅子の背に凭れ掛かり、くぅ〜っと背伸びする。っと、軽やかな音色を奏で、携帯が小刻みに震えた。 再び携帯を開くと一通のメールが届いており、無言のままメールを読んだあと携帯を閉じ、そのまま自室を出て、キッチンへと向かう和葉。 昨夜作ったチョコの残りを湯煎で溶かし、とっておきのチョコを作るために冷蔵庫からある物を取り出し、たっぷりとチョコに練り込んでいく 掌で丸く形を整え、程よく荒熱が取れたところで、冷やし固めるべく冷蔵庫へと入れる。 いい感じで固まったのを確認し、昨夜渡そうと丁寧にラッピングしていた包みを再び解き、中身を先程作ったチョコと入れ替え、もう一度丁寧にラッピングをほどこす。 キュッとリボンを締めた時に、インターフォンが鳴り響き玄関から威勢のいい声が聞こえてきた。 包み終えたチョコを持って、玄関へと向かう。 上がり口に、こちらに背を向けた状態で座っている平次へと声を掛ける。 「……おかえり、平次」 「おうっ和葉、今日はノート頼んでもーてスマンかったなぁ〜」 「別に? 事件ならしゃーないし……それに、いつもの事やん?」 「そら、そうやな! なぁそれより、なんか食わしてくれんか?? オバハンに電話したら、飯は無いっていいよんねん。疲れて帰ってくる可愛ええ息子に、酷いと思わへんか?? なぁ!? っ……!」 靴を脱ぎ、上がろうと和葉の方を振り向き、思わず言葉をなくす平次。 目の前には、綺麗にラッピングされた包みがあり、その奥には優しい微笑を浮かべている和葉が居る。 優しい微笑み、そう優しく微笑んでいるのに、この気圧されるような威圧感は一体なんなのだろう。 たらりと冷や汗を流し、一歩後ずさる。 「お腹減っとるんやろ? 今すぐなんか作るよって、これでも食べててや……な?」 「おっ……おう、おおきに……」 それは、それは綺麗な微笑で、そう言い渡され思わず受け取ってしまった包みを恐る恐る見る。 甘〜い芳香が、鼻孔をくすぐり、そこで初めて本日が2月14日、即ち「バレンタイン」だということに気付き、サッと青ざめる平次。 「あ、あの……かず、和葉……」 「んー? なに? ご飯なら、今すぐ作るよって、ちょお待っててな?」 「い、いや……そうやなしに……きょ、今日は……」 「『バレンタイン』やで?? ちゅーても、あと少しで終わってまうけど」 にこにこと笑みを崩さず、さも楽しげに語る様が、なにやらとてもとても、空恐ろしくて汗が次から次へと背筋を流れ落ちていく。 「今年も気合入れて作ったんよ? 残さずちゃ〜んと全部食べてな??」 「……はい」 満足げにキッチンへと歩んでいく和葉の背を見送り、振るえる手でそっと包みを開く。 真ん丸くて、可愛らしいチョコを手に取り、ごくんっと唾を飲み込み、意を決して口の中へと放り込む。 「つ〜〜〜!!!!!! ○×△◆○×◇〜〜〜〜!!!!!」 声にならない、平次の雄叫びを聞き、キッチン台に乗せたままだった緑色のチューブを手に持ち、ふっと笑みを零す。 それは先程和葉がチョコを作る時に、冷蔵庫から取り出したものだ。 出したばかりで、中身もたっぷりと詰まっていた筈なのに、今はペシャンコに潰れて中身も綺麗サッパリ絞り出されていた。 ぽいっとゴミ箱へと捨てられたそれには『本生わさび』の文字が…… 「これくらいの事したかて、罰はあたらんやろ??」 もともと作っていた甘い、甘い、チョコを自分の口へと運び入れ、鼻歌まじりに腹ペコ幼馴染の胃袋を満足させてやるべく、手際よく調理を進めていく和葉。 こうして、今年の「バレンタイン」は幕を閉じていった。 END |