「 雨隠の館 」 第 一 話 |
「とうとう降って来よったか……」 山を越えて少し下った所にあった依頼人トコからの帰り道、ぽつっと頬に当たった水滴にメットん中で呟いて、一瞬空を見上げてすぐに視線を戻した。 今バイク走らせとるんは車2台がやっと擦れ違える程度の曲りくねった狭い山道やから、気ぃ抜いたら即事故る。 オレ一人ならまだしも、後ろに和葉乗せとるから、いつも以上に慎重にカーブに入った。 ――いつやったか、和葉乗っけたまんま犯人追っかけてジャンプかましたりとか無茶な運転したんは、ご愛嬌や。 頼むから、山降りるまで持ってくれ。 段々と大きくなる雨粒が道路を黒く染めてくのを見ながら、暗い空に祈る。 依頼人トコを出る前に携帯で見た天気予報やと降り出す前には寝屋川へ帰れるハズやったし、まだ4分の3は残っとるんや。 天気予報でメシ喰っとるんなら、きっちり仕事せんかいっ!鉄下駄送りつけたろかっ!? 胸ん中で気象予報士に悪態ついた時、いきなりバケツ引っくり返したんかってくらい雨足が強くなった。 叩きつけるような雨が、視界を遮る。 スピード落としてさっきよりももっと慎重に走ってみたんやけど、これ以上は危険やと判断してバイクを路肩に止めた。 一応舗装されとるとは言うても所詮は田舎の山道やから、路面はボコボコやしガードレールもロクに付いとらん。 オマケに、今は下っとる最中。 こんなトコでコケたら崖下真っ逆さまで、奇跡でも起きん限りは6文握って三途の川で乗船待ちコース間違いなしや。 「平次……」 バイクから降りた和葉が、ハンドルを握ったオレの腕を不安そうに掴んで辺りを見回した。 同じ山道でももう少し車通りの多いトコなら途中にラブホの1軒もあるんやろうけど、周りに人家も見当たらん地元の人間しか使わんような所にそんな気の利いたモンあるハズもない。 田舎によくある屋根つきのバス停とか農家の納屋とか、そんな雨宿り出来そうなトコも勿論ない。 前に鳥取で道に迷った時は運良く依頼人の家の人に拾って貰えたけど、今回もそんな上手く車が通りかかるとは到底思えんし、天気予報と今の雲の様子からしてそうそう 簡単に雨が上がりそうもない。 「少し歩くで」 このまま雨に打たれて突っ立っとっても状況は好転せんやろうから、少しでも雨の凌げそうな所を探すためにバイクを押して歩き始めた。 坂があんまりキツくないんが、不幸中の幸いや。 「もう一晩、泊まらせてもらえばよかったわ」 少しばかりバイクに引っ張られるように歩きながら、ため息まじりにボヤいた。 「なに?」 「もう一晩、泊まらせてもらえばよかったなて」 「せやけど、依頼終わったんにもう3日もお世話んなってたし……」 雨の音とメットのせいで聞き取れんかったらしい。 ただの愚痴やったけど少し大きな声で繰り返したら、バイク押してるオレの邪魔にならんようにと後ろ歩いとる和葉が、どこか申し訳なさそうに返してきた。 今回の依頼が来たんは、10日前。 『3年前に亡くなった先代の遺言の謎を解いて欲しい』て依頼に、大学の長い夏休みをどうやって過ごそうかと考えとったオレは、一も二もなく飛びついた。 依頼人は代々続く地方の名家の当主で、封筒には先代の遺言は別荘に関する事やからそっちに来て欲しいて手紙と、別荘までの地図が入ってた。 別荘は古くからある避暑地にあるからよかったら暫く滞在してくれて添え書きに、依頼を受けるて連絡するついでに同行者がいてもいいかと訊くと、笑いながら快く応じてくれた。 いつも事件優先で、特にここ最近はデートのドタキャン連続記録更新中やったモンやから、和葉の機嫌はナナメどころかそろそろ180度近いんちゃうかってくらいのレッドゾーンに突入しとって、さすがのオレもちょっとばかり焦っとった。 そんな中でのある意味都合のいい依頼に渡りに船と乗っかって、一気に機嫌の回復した和葉を連れて依頼人の別荘に行った。 依頼人トコ行くんに車やなくてバイク選んだんも、その方が小回りきいてどこに出掛ける事んなっても便利やろうと思ったからや。 まあ、それが今回、裏目に出たんやけど。 今回の依頼は遺産相続でモメとるとか脅迫状が届いたとか、そんなきな臭い話やなかったから依頼人ものんびりしとって、連れてった和葉相手に自慢のコレクション披露したりしとった。 和葉も、奥さんが自分の若い頃の貸してくれたとかで、見るたんびに違うレトロな服着て楽しそうにしとったから、オレは心置きなく謎解きに集中した。 先代の遺言の謎はそう難しいモンやなかったからその日の夜には片付いて、そのまま世話んなりながら過ごす事3日。 いつまでいてくれてもええて言うてくれたけど、和葉が主もいない別荘で家政婦さんまで借りたままなんは気が引けるて言うし、それは確かにそうやなと、依頼人が自宅に戻るのに合わせてオレらも帰る事にした。 和葉が楽しめないんやったら別荘借りててもしゃあないし、天気の事は多少心配やったけど家に帰るまでは充分持つハズやったから。 「寒ないか?」 「ううん、アタシは平気やよ。平次こそ、大丈夫なん?」 「こんな雨でヤラれる程ヤワやないわ」 オレに気を使ってか平気そうに歩いてる和葉の唇が、少し白くなってる。 冬と違うて夏の雨はまだ耐えられるが、このままやったら確実に風邪を引くやろう。 少しでもええから雨の凌げるトコを探そうと目を凝らして辺りを見回すと、木立の奥に小さく灯りが見えた。 依頼人の別荘に行くのにこの道を通った時には気付かんかったが、どうやら家があるらしい。 「和葉、あれ」 「え?」 「人がおるみたいや。雨宿りさせてもらお」 「せやけど……」 オレの指差した先を見て、和葉が安堵と戸惑いが混じったような複雑な声を上げた。 それも無理ないか。 ロクに道すらない、雨のせいだけやないやろう暗い林の奥の灯りなん、普段なら気付いてもスルーする。 せやけど、このまま歩いて集落まで出るなん無理やし、選り好みしとる余裕はない。 和葉もそれはわかっとるから、オレのジャケットの裾を掴んで大人しくついてきた。 「ホンマにここにお願いするん?」 獣道としか言いようのない道の行き止まりにあった家の前で、和葉が怯えたようにオレの後ろに隠れる。 オレも、未だ音を立てて降っとる雨の事を一瞬忘れた。 林の奥にあったんは、世話んなってた依頼人の別荘よりも大きな洋風の屋敷やった。 おそらく一枚板で作られとるんやろう重厚で大きな観音開きの玄関ドアや、一目で高価やとわかる手の込んだステンドグラスの嵌め込まれた明り取りの窓のある、まるで昔の華族の別邸みたいな由緒ありげな建物。 丁寧に手入れされとったらきっと文化財にでも指定されとるくらい立派な屋敷やけど、それだけに荒れ放題の前庭やペンキが剥げてささくれた壁や灯りは点いてるのに人気のない様子が、建物の立派さと相まって陰鬱で凄惨な、それでいて引き込まれそうな一種独特の雰囲気を醸し出しとった。 「平次ぃ……」 背中に張り付いとる和葉が震えとるんがわかる。 多分これは怖いとかの感情だけやなくて、雨で体温を奪われとるからやろう。 いくら夏でも、冷やされ続ければ最悪命取りにもなりかねん。 灯りが点いとるんは、人がいる証。 それが犯罪者かもしれんて可能性もあるが、周りの様子を見る限り集団で根城にしとるようには思えんから、いても精々2〜3人。 携帯を確認したら電波はちゃんと拾っとるし、それくらいならたとえ鉢合わせたとしても助けが来るまで持ちこたえられる。 まあ、ちょっと偏屈なだけの普通の人て言うのが、一番ありがちやし。 大きく深呼吸して気持ちを落ち着けて、獅子がくわえた重たいノッカーに手を伸ばした。 |