「 狂気の宴 」 第 一 話 |
あの奇妙な館から帰って、明日で丁度1週間。 さすがに泥だらけで濡れ鼠のあの格好のまんま帰るワケにもいかんかったから、途中でラブホ見つけてシャワー浴びて着替えたんやけど、腕やら顔やらに出来た傷までは誤魔化せるワケもなく、特に誰とは言わんが、主に和葉の怪我についていろんな方面からそれなりにシメられた。 まあ、あの館であった事言っても誰も信じられんやろうし、かといって依頼のせいにするワケにもいかんから、バイク出そうとしてコケた事にしようと和葉と口裏合わせたせいでもあるんやけどな。 幸い、大した怪我やなかったから傷ももう殆ど治っとるし、普段通りの生活に戻っとる。 ――ただ1つ、あの鏡ん事を除けば。 「時間通りやね!」 玄関で待っとったんか、車を停めて短くクラクションを鳴らすと同時に、今年買ったとか言うてた大きな旅行鞄を下げた和葉が飛び出して来た。 何が入っとるんか知らんが結構重たいその荷物を受け取って後部座席に放り込むと、戸締りを確認しとった和葉が助手席に落ち着くんを待って、寝屋川を後にした。 目的地は、避暑地に程近い湖畔のコテージ。 折角の夏休みなんやし験直しにゆっくり遊ぼうと誘うと、和葉は二つ返事でOKしてきた。 「綺麗なトコやね」 車から降りた和葉が、大きく深呼吸するように伸びをした。 町からほんの数キロ入っただけなんに、コテージの周りは青々と葉を広げた立ち木に囲まれとって、ほんの数十メートル先にも同じような建物が並んどるとは思えんほど静かや。 「何か足らんモンあったか?」 「ううん、大丈夫」 コテージに入るなり頼んどいた食材のチェックをしとった和葉が、今度は物珍しげに部屋を見て回る。 こじんまりとした少人数用のコテージは、カウンターキッチンのついた10畳くらいのリビングとダブルベッドが置いてある8畳くらいの寝室の他には、4畳程度のロフトと家族向けらしい少し広めの風呂に便所があるだけの、シンプルなものやった。 「洗濯機と乾燥機があるんが嬉しいわ」 そう言いながら寝室で荷物を解いていた和葉の手が、不意に止まった。 「どうした?」 オレの声に驚いたように慌てて何かを隠そうとする和葉の手を掴んで、上げさせる。 それが何か気付いた瞬間、オレん中で何かがキレた。 「オマエ、わざわざコレ持って来たんか?」 声が硬く冷たくなるんが、自分でもわかる。 怯えたように和葉が何度も首を振った。 「ちゃうよ!あの後ちゃんと巾着に入れて箪笥の引き出しにしまったもん!」 「なら、何でコレがココにある?」 「ちゃんとしまったんよ?荷物作る時も入れた覚えないし……」 和葉の声が弱くなる。 掴んだ手から力が抜けて、持っとったモンが滑り落ちた。 ベッドに転がったんは、あの館を出た時に和葉が渡された『鏡』。 『オトコを操れる』なん抜かしてたあのオトコのセリフ通りに、鏡を覗き込んだ和葉はあのオンナに乗り移られとった時のような瞳を見せた。 あの、オトコの劣情を強烈に刺激する、オトコの本能を絡めとって意志の全てを奪い去ろうとするかのような、官能的で魅惑的な瞳を。 あの館から逃れて、泥を落とすために寄ったラブホ。 抑えが効かんくなりそうな自分に戸惑って、着替えを済ませたらすぐにでも出るつもりやったんに、気付けば和葉を押し倒しとった。 いつもと違うオレの様子に気付いたんか、和葉はびっくりしたように目を見開いて抵抗した。 オレから逃れようとする力とは裏腹に、誘うような甘く引き込む瞳を見せた和葉。 和葉に触れた全ての所から押し寄せた快楽に理性の糸を1本ずつ切り落とされて、ただひたすらその甘い肌を貪り、散々に鳴かせ、気ぃ失うまで攻め立てた。 それこそ、ギリギリで残った理性がなかったら和葉を壊してしまいそうな程に。 あの瞳は、オトコの狂気を呼び起こす凶器や。 砂漠で乾いた旅人に、ただ1口の水と引き換えに己の心臓を差し出させるような。 僅かな笑みを得る代償に、自らの胸を刃で貫かせるような。 名を呼ばれたいがためだけに、屍の山を作らせるような。 甘く破滅的な狂気をもたらす、毒。 暫くして目ぇ覚ました和葉の瞳はいつもの光を取り戻しとって、あの鏡の効力は無限やないとわかってほっとした。 自分が貰ったモンやからと渋る和葉を無視して鏡を取り上げて、家に帰ると同時に滅多に入る事のない蔵ん中の長持ちに突っ込んだ。 それで終わったと思っとった。 あの鏡がなければ、和葉があの瞳を見せる事はないんやから。 バケモンが寄越したモンはそんな簡単に片付かんと気付いたんは、3日後。 いつものようにオレの部屋に来た和葉のバッグから、あの鏡が転がり落ちた。 普段は鍵が掛かっとるけど、オカンが前日に茶碗探すとか言っとったから、和葉も一緒に蔵に入っとってその時に見つけたんやろうと思って、改めて取り上げて今度はオヤジの書斎の本棚の奥に押し込んだ。 和葉はオヤジの書斎には入らんハズやのに、今度は2日後に上着のポケットから出てきた。 蔵にも書斎にも入っとらんしどこにしまってあったんかも知らん、オレの悪戯やて言い張る和葉に、それならオマエの部屋にしまっておけ、絶対に出すなと念を押して鏡を渡した。 その2回の出来事で鏡を見るとオレの機嫌が急降下する事に気付いとる和葉が、せっかくの小旅行にわざわざケンカの種になるようなモンを持って来るとは思えん。 和葉も、持って来た覚えはないて言うとる。 せやけど、現実に鏡はここにある。 このコテージに誘ったんは、一種の賭けや。 あの鏡が現れんかったら、きっと今まで通りのオレでいられるやろう。 もし鏡が現れたら、そん時は理性の最後の一欠けらすら残さずにオレん中にある全てを解放する。 そして、鏡はここにある。 「よっぽどオマエの傍にいたいんやな」 ベッドの上に転がっとる鏡を取り上げて、和葉の目の前に差し出す。 「オマエの鏡や、たまには見てやらんと気の毒やろ?」 オレが見ても何も映さん鏡。 一緒に覗き込んだんに、和葉しか映し出さん鏡。 和葉が驚いたように目を見開いた。 |