「 色喰夜会 」 第 十一 話 | |
「あんまり長居するんも悪いから、保が来るまでブラブラして来るわ」 谷川のオンナがそう言って席を立ったんは、ココに来て2時間くらい経った頃やった。 「谷川来るまで居ればええやん」 「服部君が私に構ってくれるから、視線が痛いんよ」 そう言って、谷川のオンナは首を竦めた。 オレは特にこのオンナを構っとるつもりはないが、確かにホールとカウンターを行き来する度に谷川をネタに一言二言話してはいる。 谷川はオレの友人でこのオンナのオトコやから共有出来るネタがあって話が続くんは当然やと思うが、他のオンナ共にはそれも嫉妬の対象になるらしい。 「谷川来たら連絡したろか?」 「保がメールくれると思うけど、アイツ結構ズボラなトコあるからなぁ……」 「ほな、携番交換しとこうや。和葉も世話んなった事やし、谷川捕まえるん協力したるわ」 「服部君って、結構義理堅いんやね」 クスクス笑うオンナと携番を交換する。 別に義理堅いんやなくて和葉とそれなりに接触した人間を把握しときたいだけやったりするが、表向きはオンナの言い分に乗っておいた。 谷川が店に顔を出したんは、それからまた2時間くらい後やった。 「やっとご出勤やな、谷川」 「急にスマンかったな、横山」 「オレにはなしか?」 「恩に着るわ、服部」 急いで来たんやろう、息を弾ませながら谷川が拝むように片手を顔の前に上げて見せる。 それを横目にみながら、約束通り谷川のオンナに電話を入れた。 「オレや、服部。谷川来たで」 相変わらず店は混んどったが、もうすぐ閉店時間で新規の客を入れとらんからオーダーも終わっとる。 和葉にはすぐ帰るて言うてあったのに思いがけなく遅なってもうたから、後は谷川にやらせてさっさと帰ろうと、携帯片手にエプロンを外した。 「どこに電話しとるんや?」 「オマエのオンナ」 「漣?」 「オマエに変わってくれやと」 どうやら、谷川は自分のオンナにまだ連絡も入れとらんらしい。 オンナに頼まれて携帯を渡した時、谷川から微かに覚えのある匂いがした。 この匂いは、和葉の気に入りのボディーソープと同じや。 あのボディーソープは、眼ぇ見えへんようになってから音の他に匂いにも敏感になった和葉のために数えるんも面倒になるくらいの種類を試してみてやっと見つけたヤツで、そこらのドラッグストアで簡単に手に入るモンやない。 まして、谷川はそんな洒落モンとちゃうし、事実昨日までは一度たりとも香った事なんなかった。 とはいえ、販売店が限られとるゆうだけで手に入れるんが困難なモンでもないし、実家に帰っとったんなら家族の誰かが使っとるんかもしれへんから、そう気にせんでもええんやろう。 「ほな、後よろしく」 「あ、スマンけど明日も頼むな!」 「貸しやで?」 何やら平謝りしとった谷川から携帯を受け取ると、土産に約束したチョコレートケーキとクッキーを手に足早に大学を後にする。 おやつもある事やし、和葉の今夜の餌はトマトとアスパラの冷たいパスタでええやろ。 野菜が旨いて評判の店に寄って材料を買って、篭へと戻った。 「……また出とったんか」 ドアに鍵を差し込んで開けようとしても、手ごたえがない。 今朝間違いなく閉めた鍵は、また開いとった。 篭を作った部屋はフロア占有やから、廊下に出ても他の住人に会う事はない。 世間の煩い目から和葉と和葉を飼うための篭を隠すためにこの条件のマンションを選んだんやから当然やけど、それを教えてから和葉は時々玄関やエレベーターの前でオレの帰りを待っとる事がある。 待つのに飽きればまた篭に戻っとるが、その時に何故か『鍵を閉める』という事を忘れて、何度注意してもそのクセが直らんかったから、仕方なく玄関にオートロック機能を追加した。 眼ぇ見えへん和葉のために選んだキーは静脈認証で登録者はオレと和葉だけやから、通常の二重ロックのままよりかえって安心かもしれへんのが皮肉な結果やったが。 一つ息をついてドア横の壁に取り付けられた認証パネルに左の掌を押し付けると、カチャンと鍵の開く音がした。 「ただいま」 ガキの頃からの習慣で部屋の奥に向けて帰宅を告げて、玄関のロックを確認する。 和葉は大抵お気に入りのソファでオレの帰りを待っとるから、いつも通りに真っ直ぐリビングに向かおうとして、妙な違和感を覚えた。 いつもはきちんと閉めてあるドアが、あちこち開きっ放しになっとる。 何かあったのかとリビングに駆け込むと、散らかった部屋ん中、いつものソファで和葉が眠っとった。 「和葉……和葉!」 「……ん…」 「和葉!」 「……へいじ?」 声を掛けながら肩を揺すると、和葉はだるそうにオレに手を伸ばしてきた。 「どうしたんや?何かあったんか?」 今朝オレが篭を出るまでは綺麗に整えてあったリビングは、テーブルや椅子の位置がずれとるし、マガジンラックが倒れて雑誌や新聞が散乱しとる。 ラグは明後日の方に飛んどるし、和葉のための冷蔵庫も開けっ放しでミネラルウォーターは床に転がっとる。 篭ん中なら不自由なく動ける和葉が今更部屋ん中に置いてあるモンに躓くハズもないし、退屈しのぎに悪戯する事はあってもこんなに散らした事なんない。 「……何かて?」 「何でこんなに散らかっとるんや?」 「遊んどったんよ……」 「こんなに散らかしてか?」 「やって、退屈やったから……」 和葉の手がオレの首を探し出して、頬をすり寄せて甘えて来る。 宥めるように耳たぶを甘噛みしてやると、ボディーソープの匂いがオレの鼻を擽った。 「風呂に入ったんか?」 「うん。遊んどったら、汗かいてもうたから」 「遊んどったんやな?」 「うん。篭ん中やったら、アタシの好きに遊んどってええんやろ?」 「ああ、ええで。篭ん中やったらな」 「ちゃんと篭に居ったよ」 「……ならええ。ハラ減ったやろ?餌作ったるから、もうちょお待っとり」 和葉が嘘を言うとるとは思えへん。 ちょお引っ掛かるトコがあるが、予想以上に遅くなったオレに焦れて珍しく癇癪を起こしたんやと理解する事にした。 |