平次が記憶喪失になった。
言うても、全部忘れてしもた訳や無い。
あたしのことだけや。
あたしのことだけ、そらもう綺麗に記憶から消去してもうたみたいや。
平次が事件の捜査中に怪我して病院に担ぎ込まれたとおばちゃんから電話もろうて、取るものも持たずに駆け付けたんが2日前。
何でも逃げようとして暴れる犯人と組み合うて、階段から転げ落ちたらしい。
しかも犯人庇うて平次がその下敷きになったようで、体中を酷う打って頭からもぎょうさん血流しとったっておばちゃんから聞いた。
やからあたしは心配で心配で、ずっとほとんど寝ずに平次の側に居った。
それやのに、やっと意識を取り戻した思たら、
「あんた・・・誰や?」
あたしの顔見て、開口一番にそうのたもうた。
「え?」
頭、真っ白になったわ。
「ちょっと平次!あんた、和葉ちゃんに向こうて何言うてるの!」
おばちゃんの慌てた声が、遠くに聞こえた。
「そやかてなぁ・・・知らんもんは知らんし・・・」
平次は困った様な不貞腐れた様な顔で、あたしを見とる。

・・・・・・・・・・・さいでっか・・・あたしをお忘れですか・・・そうですか・・・・・・・・・・・

なんか平次のそんな態度に、悲しいより何よりそう来たかって思うた。
心の中で大切にして来たモノが、滑り落ちて粉々に壊れてしもた感じ。

ああ〜壊れてしもたわ。
って感じ。

その後も色々検査してみたんやけど、脳のどっこにも異常は見付けられへんで、一時的なもんやろうってことになった。
一時的でも何でも、平次があたしのことを忘れてしもたことには変わりは無い。
こうなると、あたしがいつまでも平次の病室に居ることは出来へんし必要も無い。
「ほな、あたしは帰るな。お大事に。」
そう言うて、さっさと帰ることにした。
「へ?あっ・・ちょう・・・」
平次は何か言いたそうやったけど、聞こえへん振りをした。
今更何を言われたところで、今の状況が変わる訳や無いし。
おばちゃんは早足で廊下を歩くあたしを追いかけて来てくれて、おばちゃんが謝ることや無いのに必死にあたしに謝ってくれた。
そして、
「あのこ暫らく入院さすし、また来てやってな。」
と言われた。
あたしはそれには答えずに、
「おばちゃんのせいや無いから、気にせんといて。」
と笑顔を返してその場を後にした。


高校を卒業してから平次は京大であたしは神戸女子大に入学したから、それまで続いていた幼馴染の腐れ縁もほとんど切れてしもた状態やった。
始めのころはそれでも時々連絡しとったし、あたしが京都に遊びに行ったりもしとった。
そやけど平次は大学になってからは探偵ん方も高校ん時よりお呼びが掛かることが多なったんか急がしそうで、今年に入ってからはほとんど顔を合わすことも連絡を取ることもなかった。

あたしの平次への想いはもう届かない。

そう思い始めた矢先にこれや。
止めを刺されてしもた。

今の平次にとってあたしはまったくの赤の他人や。
幼馴染でも何でも無い。
名前も顔も知らへん、ただその辺に居る女と一緒。

丁度ええかもしれへん。
この機会に便乗さしてもらおう。
平次を忘れるええ機会やし。
何より平次はあたしのことなん、綺麗さっぱり忘れてるんやから。

そう思うてあたしはそれっきり、平次のお見舞いに行くことは無かった。

おばちゃんからは何度かあたしを気遣う電話やお見舞いに来て欲しい旨のメールがあったんやけど、大学やバイトが忙しいのを理由にして丁寧に断り続けた。
あたしが知らせた工藤くんや蘭ちゃんも平次のお見舞いに行ったらしく、
「服部くん、和葉ちゃんが来てくれるのを待ってるみたいだったよ。」
「アイツあれでも和葉ちゃんのことを気にしてるんだよ。オレらの顔見るなり、和葉ちゃんのことを聞いてきたんだぜ。」
と帰りにわざわざ神戸まであたしに会いに来てくれた。

それでもあたしは、平次に会いには行かなかった。

今更会って、どうしろって言うんよ。
あたしには平次に会いに行く理由が無いんよ。


6月の初めに病院に担ぎ込まれた平次は、7月の初めにやっと退院したらしい。
おばちゃんから、
「頭の傷も完全に治ったみたいやし、世話するんも大変やから退院さしたわ。」
言うて電話があった。
そして、
「平次も和葉ちゃんのこと気にしてるみたいやから、よかったら連絡してやってな?」
と最後に申訳なさそうにそう付け足した。
おばちゃんの口振りから、平次の記憶が戻って無いのが分かる。
まぁ、いっぺん無くした記憶が早々簡単に戻ることも無いやろし当然やな。

それやのに次の日、平次から直接電話があった。
「あっ・・か・・か・・ずは・・・・さん?」
これは・・・誰やの?
「そうやけど?」
「俺や・・・あっいやっ・・・服部平次やけど・・」
ほんまかいな?
「分かってるよ。着信表示に名前出てるし。」
「そ・・そうやったな・・」
ほんまに何も覚えてへんのやな。
「そんで、その服部くんがあたしに何の用なん?」
「・・・・・・・・・・」
電話して来て黙んまりってなんやの。
「はっ・と・り・くん?」
「平次で・・・ええで・・」
「そういう訳にもいかへんやろ?あんたもまったく知らへん他人から、行き成り呼び捨てされたら気ぃ悪いやろ?それに、あたしのことも無理して名前で呼ばんでええから、遠山言うてくれたらええし。」
「・・・・・・・・・・」

はぁ・・・

「おばちゃんや工藤くんらから何て言うて聞かされたか知らへんけど、あたしらただの幼馴染やから。今の服部くんには信じられへんやろうけど。」
「・・・・・・・・・・」
「父親同士が親友で、家族同士も知り合いやっちゅう程度やから。それに大学入ってからは、ほとんど会うことも無かったし、服部くんがあたしんこと忘れても何の問題も無いから、気にせんでええよ。」
「そういう訳にはいかへんやろが?」
「何で?」
「何で・・って・・」
「別に何も問題無いやん?」
「そ・・それは・・やな・・」
ほんまに何やの?
「無理せんでええよ。服部くんにはあたしなんかに構うてる暇無いやろ?」
「そんなことない・・」
今まで無かったくせに。
「とにかくほんまにええから。あたしのことは放っといてや。ほなね。」
「まっ・・」
あたしは通話を終了させた。

服部くん・・・かぁ・・・
なんや新鮮やわ。

さっきの平次はどこか余所余所しうて、あたしの知ってる平次とは明らかに違うてた。
あの感じは他人に対するもんや。

まぁ、あたしも所詮は他人なんやけど、それでも今まではこんなに距離を感じたことなんなかった。

これが今のあたしと平次の距離。

このままどんどん離れていくんや。





って思うてたのに、世の中そんなに甘うは無かった。

なんでやの?







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