二、 『カズハ!定期便よ!』 ホームステイ先のマムがにっこり笑って渡してくれたのは、日本からのエアメール。 『…ありがとう、マム。着替えてくるね』 お礼を言って受け取って、テキストの入った重いカバンを置くために部屋に向かった。 アタシがアメリカの大学へ進学を決めて丸3年。 生活習慣の違いや馴れない英語に、始めは授業に付いて行くのがやっとだったけど、ステイ先の家族や少しずつ出来た友人たちに支えられて、今ではすっかりこっちでの生活を楽しんでる。 そんな中、毎週送られてくる日本からの手紙。 カードが1枚だけ入った、何の飾り気もない真っ白い洋封筒。 少し厚手のカードの絵柄は、いつも必ず向日葵。 隅に小さくイニシャルだけ書かれたカードは、もうすぐ150枚になる。 差出人は、蘭ちゃん。 アタシのステイ先の住所もメアドも、お父ちゃんと蘭ちゃんしか知らないし、日本を発つ時に、誰にも教えないでって頼んでおいた。 でないと、日本を離れる意味がなくなっちゃうから。 蘭ちゃんは、その約束を守ってくれてる。 アタシの住所もメアドも、誰にも教えないでいてくれてる。 だけど、この手紙は蘭ちゃんからじゃない。 「……何で、忘れさせてくれないん?」 今日届いた手紙には、やっぱり向日葵のカードが1枚だけ。 隅に書かれてるイニシャルは、いつもと同じ<H.H>。 同じイニシャルの人間なんて、いくらだっているけど、蘭ちゃんとアタシの共通の知り合いには、1人しかいない。 「……アタシの事なん、忘れてよ」 思わず、声が震えた。 一度は実ったと思った恋。 でも、結局はアタシは彼の1番にはなれなかったから。 アタシじゃない誰かに心を残したままの彼と、一緒にいるのが辛かったから。 いつか、アタシの知らないその人が、彼の心の多くを占めてしまいそうだったから。 だから、せめて嫌われないうちに、彼を自由にしてあげようと思ったのに。 留学の本当の目的は、彼の事を忘れるためだったのに。 なのに、毎週届くカードがそれを許してくれない。 留学期間は、あと1年しかないのに。 『カズハ!美味しいケーキが焼けたの。お茶にしない?』 ノックと一緒に聞こえてきたマムの声に、滲んだ涙を慌てて拭って、大きく深呼吸する。 ドアを開けると、マムがお手製のケーキとお茶を載せたお盆を持って、優しく微笑んでた。 『何かあったの?可愛い顔が台無しだわ』 机にお盆を置いたマムが、アタシの頬を柔らかな手で撫でる。 精一杯隠したつもりだったのに、やっぱりマムには通じなかったんだ。 『いい女に悩みはつきものだけど、溜め込んじゃダメよ?私は日本語はわからないから、ナイショにしておきたい事なら日本語で話していいわ。私はただ聞いてあげるだけ。でもね、それだけでも気が軽くなる事だってあるのよ?』 『何でもないの。ただ……ちょっとホームシックかな?』 いつもアタシの事を気にかけてくれる、優しいマム。 あんまり心配かけたくなくて、理由はそう言う事にしておいた。 マムは、それで納得してくれたらしい。 机の上に広げたままの封筒に目をやって、小さく頷いた。 『そう言えば、日本から手紙が来てたものね。このカード?見てもいいかしら?』 『どうぞ』 何が書いてあるわけでもない、ただの向日葵のカード。 これでホームシックって言うのは、ちょっと無理があったかもしれない。 『随分シンプルね。いつもこれだけなの?』 表と裏を何度も見直していたマムが、ふっと手を止めた。 『……あら?』 『どうしたの?』 『このカード、二重になってるみたいよ?』 マムの指さす先を良く見ると、角がほんの少しだけ捲れているように見える。 二重になっていると言われればそうも見えるけど、ただ厚紙の表面が剥がれかけただけにも見える。 『……剥がしてみたら?』 『うん……』 楽しそうなマムに押されて、そっと爪をかける。 切れ目や耳がついてるワケじゃないから最初は少し難しかったけど、指がかかるくらいまで開いたら、後は簡単に剥がれた。 『まあステキ!洒落たカードね!』 マムが、ぽんっと手を叩いた。 向日葵のカードの下から現れたのは、真っ赤な薔薇のカード。 『裏に何か書いてあるわよ?』 マムの声に、両手に持ったカードを裏返す。 薔薇のカードの裏には、いつものイニシャル。 向日葵のカードの裏には、一言だけの日本語のメッセージ。 <会いたい> 少し癖のある、見慣れた筆跡。 「……まさか」 引き出しの中にしまっていたカードケースを引っ張り出して、床に座り込んで片っ端から剥がしてみた。 向日葵のカードの下から現れる、真っ赤な薔薇のカード。 一言だけ添えられたメッセージ。 ぎゅっと締め付けられるように、胸が痛む。 『随分熱烈なラブコールね。これじゃ、カズハがホームシックになるのもしょうがないわ』 『………』 マムの言葉に、アタシはただ首を振った。 このカードの意味がわからない。 彼が<誰>に会いたがってるのかわからない。 <幼馴染>のアタシ? <彼女の一人>だったアタシ? 『このカード、恋人からでしょう?これはカードだけど、男が女の子に真っ赤な薔薇を、3年間、それも毎週送って来るなんて、ラブコール以外にないじゃない?』 アタシの隣に座ったマムが、そっとカードの1枚を拾い上げた。 『ねえ、カズハ。この3年間、あなたが1度も日本に帰らなかったのは、もしかしてこのカードの彼に会いたくなかったから?』 アタシは、ただ頷いた。 声を出したら、泣いてしまいそうだったから。 『彼が嫌い?』 ゆっくりと首を振る。 嫌いじゃない。 嫌いになんてなれない。 でも、傍にいるのが哀しくて。 アタシじゃない誰かの存在が苦しくて。 彼を信じきれない自分が情けなくて。 逃げ出して来た。 『私は彼の事知らないから、偉そうにアドバイス出来る立場じゃないけど、人生の先輩として1つだけ言わせて?恋には誤解はつきものよ。迷いもね。だから、時には休んだり逃げたりしてもいいと思うの。でもね、逃げてばかりじゃダメ。あなたが好きになった彼は、暴力的だとか問題を抱えてる人じゃないんでしょ?だったら、あなたがどんな結論を出すにしても、彼に会って、ちゃんとケリをつけなくちゃ』 マムがアタシを抱き締めて、ゆっくりと背中を撫でてくれる。 その温かさに、心の奥で凍り付いていた想いがゆっくりと溶けだして、涙に変わるのがわかった。 『いい恋はね、女を磨いてくれるの。この夏が終わったら、あなたはもっといい女になってるわ。私が保障してあげる。だから、彼に会ってみない?』 マムの胸の中で、子供のように泣きながら、アタシは小さく頷いた。 第三話へ |
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