「 雨隠の館 」 第 五 話 |
オレにしがみ付いとった和葉の腕から、いきなり力が抜けた。 そのまま崩れるように倒れこむ和葉の身体を、慌てて抱きとめる。 「和葉!おい、和葉!!」 軽く頬を叩いてみても反応がない。 完全に気ぃ失っとった。 「これは大変」 さして慌てた風もなく、この館の住人がオレの腕の中を覗き込もうとする。 無意識のうちに、オレは和葉をそのオトコから隠すように抱きかかえてた。 「さ、こちらへ。ああ、お荷物はわしが運びましょう」 オトコは気にした風もなく、オレらの荷物を持つと階段を指差した。 上に行けいう事やろう。 「いや、雨が止んだらすぐ失礼しますよって、その辺の部屋貸してもらえれば充分ですわ」 「そうは参りませんよ。何しろ古い館、下にはお客様にお貸し出来るような部屋がありませんのでな」 オレとしてはなるべく動きやすい玄関に近い部屋が良かったんやけど、勝手に入って来た見知らぬ他人に好意で部屋貸そう言うてくれとる家主に逆らってまで我侭は言えない。 オトコに気付かれんように小さく息をついて、立ち上がった。 「どうぞ、こちらへ」 案内されるままに、和葉抱えてゆっくりと階段を上る。 光量の足りない古ぼけたシャンデリアの灯りが、階段にオレらの影をぼんやりと落とす。 昔は綺麗に磨かれとったんやろう階段は、普段使っとるらしい所以外はうっすらと埃が被っとって、一段上るたんびにギシっと板が撓む音を響かせた。 「あ……」 踊り場に人影を見つけて声を掛けようとして、思わず立ち止まった。 「驚かれましたか?」 「はあ、まあ……」 踊り場にいたのは、椅子に座った等身大の人形。 年代モンやけど豪華な振袖着た人形は、薄暗いこの館の灯りの下では今にも動き出しそうに見えた。 「人形は、お嬢の趣味でしてな。あちこちに飾っております」 オトコの指差す先には、これも等身大のアンティークなドレスを着た人形が3体、椅子に座って中空を見ている。 古い洋館に古い人形はあまりにもハマってて、気味が悪い。 「お部屋にはありませんから」 オレの気分を感じ取ったんか、オトコはそう言って2階の左手、階段から2つ目の部屋のドアを開けた。 20畳くらいはありそうな広い部屋は、さっき下で見た部屋とは違って壁紙も調度もみんな落ち着いた色で纏められとって、少しだけほっとした。 「何か、お飲み物をお持ちしましょう」 「いや、休ませてもらえるだけで充分ですわ。気ぃ使わんといて下さい」 広い部屋に相応しいキングサイズのベッドの端っこに和葉を寝かせながら、オトコの申し出を断った。 親切心からオレらの世話をしようとしてくれとるんやろうけど、何故かイマイチ信用しきれないんや。 悪い人には思えんけど、善人やとも言い切れない。 「それでは、お荷物はここに置いておきましょう」 オトコはそれ以上勧める事もなくオレらの荷物を置くと、3階の右手側の一番奥が自室やから何かあったら来てくれ言うて部屋を出て行った。 その足音が消えるのを待って、改めて部屋を観察する。 まず真っ先に見たんは、水色のカーテンのかかった窓。 そうっと開けてみると、ここはちゃんとガラスの入った窓になっとった。 閂を外して開けられる事を確認して、視線を部屋に戻す。 部屋にあるのは、和葉を寝かしたベッドと、その反対側の壁に嵌め込まれた大きな姿見だけ。 クローゼットの1つもない。 何となく不自然な感じもするが、取りあえずは安心出来る場所やと思う。 時折光る雷を避けるようにカーテンを閉めて、ベッドに戻った。 端っこに寝かせてた和葉を少し真ん中に寄せて、寝苦しいやろから上着だけ脱がせる。 下に着とるんは、肩とか背中とか胸元とかが広く開いたキャミとかいう服やったから、冷えんように薄い肌掛けを掛けてやって、オレも疲れたからその隣にひっくり返った。 カーテンを通って部屋に入ってくる稲光が、足元の方にある大きな姿見を鈍く光らせる。 その光が姿見の中に何か別のモノを映しているような気がして、和葉の方に向き直った。 急に気ぃ失った和葉。 あれは安心して気ぃ抜けたんとは違う。 この館の住人や言うあのオトコを見て、気絶したんや。 不健康そうな青白い肌をした、若いんか年食ってんのかわからん小太りのオトコ。 横に広い輪郭とデカい口、ぎょろっとした目ぇに低い鼻をした、10人に特徴訊いたら10人ともが『蛙』や言うやろうオトコは、酷い猫背のせいでそれでなくても低い背が余計低く見えて、どこか人間離れしとるようにも見える。 ねっちょりとした話し方も、あんまり気持ち良くはない。 オンナ受けは絶対しないタイプやけど、せやからて見ただけで卒倒するほどでもないと思う。 それとも、オレにはわからんだけで、あんまり人見知りしない人懐っこい和葉が気ぃ失うほどのモンがあるんやろか? つらつらと考えとったら、和葉が小さく身動ぎした。 「気ぃついたか?」 「……うん」 何度か瞬きした和葉が、オレを見て笑う。 その瞬間、どくんっと心臓が跳ねた。 「平次……?」 ゆっくりと起き上がった和葉が、上からオレを覗き込んだ。 下ろしたまんまの髪が、剥き出しの肩から広く開いた胸元に流れる。 「どうしたん?」 首を傾げた和葉の指が、オレの首筋に触れる。 その感触に、ぞくりと背中に熱が走った。 青みを帯びる程に白い、ぬめるような冷たい肌。 それとは対照的な、血のような赤い唇。 そして、強烈にオトコの劣情を刺激する、黒く濡れた底のないような瞳。 「平次?」 和葉の大きな瞳に覗き込まれて、オレは押さえつけられたように身動きが出来なくなった。 ソノ気もないオトコも見つめられただけで一瞬で落ちるような、姉ちゃん一筋で他のオンナなんカボチャくらいにしか思っとらんあの工藤ですら落とせそうな、直接的に雄の本能に働きかける、底知れない官能を湛えた瞳。 和葉や……ない……? 和葉とはそれなりの『お付き合い』しとるから、誘うような『オンナの顔』も幾つも知っとるけど、こんな瞳を見せた事なんない。 いや、人間のオンナに、こんな瞳が持てるワケがない。 「……か……ず…」 オレん中の今まで自覚した事もないような荒々しい本能が、目の前の獲物を仕留めたいて暴れてるんがはっきりとわかる。 それを押さえ込むために掌に爪が食い込むくらいに強く拳を握り、思いっきりハラに力を込めた。 「和葉っ!!」 ハラの底から、思いっきり叫ぶ。 壁に埋め込まれとる鏡が、びりっと震えたような気がした。 |