「 雨隠の館 」 第 十七 話 |
「……っ」 鈍い衝撃と鋭い痛みに、一瞬息が詰まった。 右手を床について、身体を起こす。 掌に感じたのは、床やなくて岩の感触やった。 「つっ……」 痛むんは、左の脇腹と左腕。 骨までやられたような痛みやないし、内臓に響くほど強く叩きつけられたワケやないから、ハラはただの打撲やろう。 左腕も、擦り傷程度でさして深い傷やない。 こっちは、Tシャツしか着とらんかったんが敗因や。 1つ息をついて、ゆっくりと辺りを見回す。 どこをどう移動させられたんかはわからんが、オレが落とされたんは、岩に囲まれた地下の洞窟みたいな所やった。 さっきまでいた邸よりも更に暗い、じっとりと肌に張り付くような、息苦しささえ感じる程の、生臭い湿気のこもった洞窟。 所々にある松明の灯りはぼんやりと物の形がわかる程度で、足元を見るんが精一杯や。 そんな中で、1か所だけ浮き上がるように明るい場所。 そこに、和葉がいた。 「和葉……。和葉!和葉!」 布張りのアンティークな椅子に凭れるようにして、死んだように眠っとる和葉。 胸はゆっくりと上下しとるから息はあるし、掴んだ両手は確かにいつもの和葉の体温なんに、いくら呼んでも起きる気配もない。 『 なんじゃ、小娘は目覚めんのかえ せっかくそちが見付けてやったのにのう 可愛げの無い小娘じゃ 』 背中から聞こえたオンナの声に、勢い良く振り向いた。 そこにいたのは、椅子に座ったあの市松人形。 まるで人間のオンナみたいに、振袖の袂を押えながら口元に手を当てて笑っとる。 普段のオレやったら一体どんなカラクリなんかと興味津々で観察する所やけど、あの人形がどんなモンか知っとる今は、鳥肌が立つほどの気味悪さしかない。 自分があちこち泥だらけなんも忘れて、思わずあの市松人形から隠すように和葉を抱き締めた。 「和葉に何をしたんや!!オレは約束は守ったで!時間までに和葉見付けたやろが!!」 『 何もしてはおらぬ ほれ その証に娘はそちに返してやっておるではないか 』 洞窟ん中、オレの声は四方に反響しとるんに、オンナの声はどこまでもクリアに闇に吸い込まれていく。 確かに、和葉はここにおる。 せやけど、まだ何かが足りん。 大事な何かが、欠けとる。 オレの腕ん中の和葉を指差しとる市松人形を、正面から睨みつける。 松明の灯りのせいか、楽しげに笑った口元とは対照的に、ガラスの瞳は暗く沈んどった。 『 恨めしいがの 今宵はそちらの勝ちじゃ もう顔も見とう無い 早々に立ち去るがよいぞ 』 どこに隠れとったんか、オンナが手を振るとあのオトコがのっそりと暗闇から現れた。 一瞬そっちにやった目を、すぐに市松人形に戻す。 拗ねた子供みたいにつまらなそうにオレを見とる人形の目が、何故か引っ掛かった。 光を反射しとるだけの、作り物のガラスの瞳。 せやけど、それだけやない何かを感じる。 それが何なのかが今一つ掴みきれんまま、和葉を抱き上げて人形に背を向けた。 「さ、こちらへ」 先導するように、オトコがオレの前を歩く。 この場所のせいか、それともペタペタとした足音のせいか、最初に会った時とは随分と印象が違う。 最初に会った時はどこかヘンやと思いながらも『人間』に見えとったのに、今は昔話に出て来る『河童』にしか見えん。 もしかして、あの時和葉が気ぃ失ったんは、このオトコが『河童』に見えたからなんか? せやったら、あの『お嬢』言われとるオンナは? そもそも『河童』なん空想上の生き物にすぎんけど、あの『特別な人形』は確かにオレがこの目で見たモンや。 何より、偏屈で頑固な年寄りならまだしも、声から察するにまだ若いだろうオンナが、こんな電気も通っとらん電話線も引いとらんような朽ちかけた邸に住んどる事自体がおかしい。 ……『人間』やない? そんな事あるハズないんに、そう考えれば何もかも辻褄が合う。 ほんなら、今オレが抱いとる和葉は? この『身体』が和葉なんは間違いない。 せやのに、何かが足りん。 足りないモンは……? 「そろそろ雨も上がるようですぞ。お荷物は玄関に運んでおきましたので、朝までお休みになるもよし、早々に出立されるもよし、お好きになさって下さい。今宵は、お客人のおかげでお嬢は久方ぶりに楽しまれたご様子。人形は手に入りませなんだが、新しい玩具はお手元にありますゆえ、暫くはご機嫌も良い事でしょう」 オトコが低く嗤う。 そのセリフに、オレん中で何かがブチっと切れた音がした。 「ちょお待ってくれや」 「はい?」 振り向いたオトコの鳩尾目掛けて、思いっきりケリを入れる。 蟇蛙みたいな声を上げて、オトコが仰向けに引っくり返った。 起き上がるヒマも与えずに、ハラを踏みつける。 和葉抱いたまんまやから多少狙いは甘くなったけど、人間ならアバラの2〜3本も折れて内臓にもちょっとばかりダメージが出るからぐったりするハズやのに、オトコは苦しそうにしながらもバタバタと暴れとった。 「ふざけんなや」 オレの足を掴もうとした手を蹴り飛ばして、踵に体重を乗せてもう一度ハラを踏みつける。 人間なら間違いなく入院コース、ヘタすればあの世行きやけど、構わん。 ハラを抱えて丸まっとるオトコを無視して、今来た道を駆け戻った。 さっき、和葉がいた場所。 あの市松人形がいた場所。 そこにいたのは、真っ白いオンナやった。 裾の長い真っ白な着物。 腰よりも長い真っ直ぐで真っ白い髪。 ぬめるような光沢を持った真っ白い肌。 血のような緋色の瞳と唇だけが、オンナの持った色やった。 『 どうした カワエロとはぐれたのかえ 』 「いや、忘れモンしてな、取りに戻っただけや」 『 ほう、忘れ物とな? 』 オンナの紅い唇の間から、紅く薄い舌が覗いた。 「……和葉返せや」 『 娘なら そちが抱いておろう 』 「『身体』だけやなくて『中身』も、きっちり耳揃えて返せ言うてんねや!」 『 何の事じゃ 』 「トボケんなや」 オンナの印象は『白蛇』。 その爬虫類のような瞳を睨みつけながら、顎で市松人形を指し示した。 「そこに和葉おるんやろ?元通りの和葉を返せ」 |