「 CHESS 」 |
notation 24 |
「 wood pusher 」 |
「そこで君に一つ質問があるんだけど、いいかな?」 訊ねているにも関わらず、蹲ったまま動こうとしない香織を気遣う事無く新一は疑問をぶつけた。 「君たちはこうなる事が分かっていて、今まで行動していたのか?」 香織の体が僅かに揺れたが、答えが帰って来る気配は無い。 新一は一度大きく溜息を付くと、 「分かり易く言うとだな、佐野ほのかは和葉ちゃんが服部に相談しないだろうことを、嫌、絶対に相談出来無い事を見越してこの虐めを実行していたのか?」 と言い換えたが、香織からの答えは相変わらず無かった。 「つまりだな、楽しんでやってたかどうかって聞いてるんだ!その位分かるだろ?」 新一の表情が探偵のモノから、和葉の友人としてのモノに変わる。 事件なら私情を挟むなど以ての外だが今は事件では無いし、人間としてもっとも卑怯な行為である虐めで、しかも自らの手を汚すことなく感化され易い人間を誘導した上での行いなのだ。 それを楽しんでやっていたなどとは、和葉の為にも、平次の為にも、況して蘭の為にもそんな事はあって欲しく無いのである。 「どうなんだよ?」 「・・・笑ってた」 「・・・マジかよ・・」 香織の声は呟きよりも小さかったが、静まり返っているこの教室では掻き消される事無く3人の耳に届いた。 「ほの・・かは・・・笑って・・・・・・とても・・・とっても・・嬉しそうに・・・笑ってた・・・」 聞いた新一も、黙って成り行きを見ていた平次も、そして耐え切れず涙を流した蘭さえもが、そう呟く香織の姿に目を見開き声を失った。 ほのかが笑っていたと途切れ途切れに答えた香織の口元が、蹲ったまま顔を下に向けたままだったにも関わらず僅かに笑みを形度っていたからだ。 「いつも笑顔で・・・楽しくて・・・嬉しくて堪らないって・・・」 そう言う香織の顔も、少しづつ滑らかになっていく口調に合わせる様に柔らかくなっていっている。 それは今自分が置かれている立場が、とても分かっている人間のモノではなかった。 「ほんで、お前も笑うとったんか?」 現状のなんとも言え無い不条理な光景に、耐え切れなくなったのは平次だった。 「お前もあの女と一緒んなって、笑うてたんか?」 その声音に今度は香織はもちろん、唖然として香織の顔を凝視していた新一や蘭までもが背中から凍る様な冷たさを感じ取ってしまう。 「そのお前の顔を見る限り、えらい楽しんだんやろうな」 「・・・・・・・」 香織は笑みを象った口元のまま小さく震え、そしてゆっくりと平次の方へと顔を上げた。 「ちっ・・」 小さく舌を打ったのは新一だ。 ・・・・・・・・・・・まずいな・・・イッちまいやがったか・・・・・・・・・・・ 新一はさっきからの香織の表情に沸きあがった疑念が、現実になってしまったことに新一らしくも無い険悪な悪態をついたのだ。 しかしこうなるかもしれないという予測はすでに出来ていたが、さっきの質問は避けられないものでもあった。 この犯罪を立証するにおいて、そこに快楽、すなわち加害であるほのかや香織がその行為に何かしらの幸せ、喜び、満足などの感情を抱いている証拠が必要だった。 この二人、いや他にも居るが今はほのかと香織を先に現実世界での裁きの場に引きずり出すことが優先。 その為には大阪での条例に基かなければならない。 それには確たる証拠と、明白なる加害者達の意思が不可欠だったのだ。 ・・・・・・・・・・・・やり過ぎたか・・・しかし・・・・・・・・・・・・・ 新一は改めて香織の表情を観察する。 香織の瞳は確かに平次に向けられているが、その焦点が合っているかと言えばそうではない。 しかも口元は依然として笑みを象ったままだし、何より全体の表情がさっきまでの怯えた雰囲気では無く明らかに喜びに溢れている。 今の現状において、香織のこの表情や雰囲気は明らかに場違いだ。 ”現実逃避”新一の頭に最初に浮かんだのはその言葉だったから、”イッちまった”と咄嗟に思ったのだ。 現実逃避の中でも新一が想像したのは”防衛機制”、現状から自分を守る為に自ら自分に都合の良い状態に置き換えたのだと。 しかし、それにしては香織の変化は、余りに唐突ではなかったかと。 ・・・・・・・・・・・・これだとまる・・で・・・・・・・・・・・・・・ 「 ! 」 その思考に行き当たり、新一は驚愕の余り両目を限界まで見開いてしまった。 「新一?」 一瞬完全に止まってしまった新一の思考を、引き戻したのは蘭の不安に怯えた小さな声。 「新一・・・大丈夫?」 「あ・・ああ・・・」 視線をゆっくりと香織から引き剥がし、自分のジャケットを掴んでいる蘭の手に落とす。 蘭の指先は小さく震えていて、目の前で起こっている出来事に必死で耐えている様子がありありと表れていた。 ・・・・・・・・・・・・・ここでこれ以上蘭に負担を掛ける訳にはいかねぇ・・・・・・・・・・・・・・・・ それでなくても新一は、蘭にどうしても聞きたい事がある。 その為にも、嫌、それ以上に蘭の彼氏として更に新たな衝撃を彼女に与えることは、どう考えても出来なかった。 蘭を落着かせる様にゆっくりとその肩を抱き寄せ、頷いて見せる。 そして改めて、平次と香織に視線を戻した。 平次は先程と同様に辛辣な言葉を投げ掛けているが、香織はそれをまるで愛の言葉でも聞いている様にうっとりとした表情で聞いている。 冷静さを取り戻した新一に、平次がちらっと嫌悪感の中に僅かな戸惑いを混ぜた視線を投げ掛けて来た。 新一は今度は小さく首を横に振って見せる。 ”今日はこれ以上は無理だ”と意味を込めて。 平次はぎゅっ唇を噛み辛辣な視線を新一に向けて来たが、その後悔しそうに肩を落とした。 大きく深呼吸をしてから、新一はこの場の異様な空気を掻き消した。 「今日はもう遅いから、そろそろ帰えらねぇか?」 傍らの蘭を抱いている腕に少し力を込めると、 「そ・・そうだね。寒くなる前に帰ろっか」 震える声では有るけれどそう返してくれた。 「そやな。ほな、俺らも帰るか、ほのか」 「うん!ちゃんと送ってね平次」 平次があえて”ほのか”と呼んだことに関しても香織はまったく疑問を持っておらず、ここでの出来事が本当に無かったかの様だ。 もしかしたら、平次と別れ話があったことすら忘れているのかもしれない。 そんな香織の様子に微かに戦慄を覚えた平次の目はどこまでも冷めたく、新一の目には疑惑が溢れ、蘭の瞳は不安に揺れていた。 校舎から外に出ると、闇に覆われた空には微かな光すら見付けることが出来なかった。 |
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