鏡幻月華 〜 十一の夜 〜 |
||
買い物を終えて『篭』へと戻った。 「いらっしゃい!」 ロックを外して一足先に玄関に入った和葉が、工藤と姉ちゃんに向かってにっこり笑いながら両手を広げる。 「荷物置いてお茶にしよう?」 「せやな。スーパーの袋はその辺に置いといてくれればええから、まずはコート脱いでラクんなろうや」 姉ちゃんの手から菓子やツマミの入ったビニール袋を受け取って、野菜やら何やら詰め込んだモンと一緒に玄関に置く。 飲み物を入れた重い袋を下げとる工藤には、その隣を指さしてやった。 「こっちやで、蘭ちゃん!」 待ちきれんように和葉が姉ちゃんの腕を取って、迷いのない足取りでここがトイレでお風呂はここと説明しながら奥の客間へと案内していく。 工藤が感心したようにその様子を眺めとった。 「和葉ちゃん、すげえな」 「そら、2年以上も暮らしとればいい加減慣れるわ。初めの頃はあちこちぶつかって、よう痣こしらえとったけどな」 のんびりと和葉の後を追いながら、工藤にも一応説明していく。 「ココが風呂。タオルは客間に用意しといたから適当に使うてくれ。無駄にデカいんも一枚置いてあるから、シーツ代わりにしてくれてもええで?使うたんは洗濯機に入れといてくれればええし」 タオル敷いたれば姉ちゃんも安心するやろ?ゴムはいるか?と耳元で囁いてやったら、脛に軽いキックが飛んできた。 お返しとばかりに鳩尾に軽いパンチを入れて、あの頃みたいな共犯者の笑みを交わす。 工藤の様子に不審な部分は感じられない……今の所は。 スーパーの駐車場で、慌てたように和葉に向かって手を伸ばそうとしとった工藤。 顔を覆っとった和葉の頬が濡れとった。 和葉は『慰めてもろて嬉しくて』なん言うとったが、あの涙はイミテーションや。 アレで和葉は何を誤魔化そうとしとったのか。 「玄関入って左のドアが居間やから、落ち着いたら来てや」 客間のダブルベッドに戸惑っとる姉ちゃんの影からこっそりサムズアップしてくる工藤に、同じように親指を立ててエールを送ってやる。 そのまま姉ちゃんを待ちたがる和葉を促してリビングに放り込み、コートと食材とを片付け終えた所で、工藤と姉ちゃんが現れた。 「広いお部屋だね。それにすごく綺麗」 リビングのローテーブルに湯飲みを並べながら、姉ちゃんが改めて部屋ん中を見回す。 『お茶の仕度ならわたしがするわ』とキッチンでお湯を沸かしとったオレんトコに来た姉ちゃんに言わせると、正月なんやからここはコーヒーや紅茶やなくて緑茶らしい。 正月だのクリスマスだの七夕だの、あの頃の和葉やったら同じように拘っとったやろうと思うと、妙な可笑しさが込み上げて来る。 ……決して表には出さへんけどな。 「二人しか居らへんのに贅沢やて言うたんやけど……」 「オレのオヤジとオカンがな、和葉は部屋ん中で過ごす事が多くなるやろから、なるべく広くてセキュリティのしっかりしたトコにせえて言うたんや」 「可愛がられてるよな、和葉ちゃん」 「代わりに息子のオレは放置や」 工藤も姉ちゃんも、部屋の広さやセキュリティには驚いとるが、まだ学生のオレらがココに住んどる事に疑問は持っとらん。 工藤は元々デカい家に住んどるし、姉ちゃんもオレの実家が世間やと所謂『お屋敷』て言われるくらいには広くてそれを維持していけるだけの資産家やと知っとるから、不思議には思わんのやろう。 「お茶、ここに置いたからね。まだ熱いから気をつけてね、和葉ちゃん」 「うん。ありがとう」 姉ちゃんが和葉の手を取って、テーブルの上に指を滑らせながら湯飲みの場所を教える。 嬉しそうに笑った和葉が、離れようとする姉ちゃんの手を両手で包むようにして引っ張り、座るように促した。 「ああ、そうや!」 和葉がぽんと手を叩いた。 「蘭ちゃん、工藤君、婚約おめでとう!」 「せや、びっくりして祝い言うん忘れとったわ」 「あ、ありがとう」 姉ちゃんがふわっと頬を紅潮させる。 初詣の途中で工藤から知らされた婚約の報告。 今のオレにとってはただの情報に過ぎんし、あの時は煩いオンナ共や参道の人込みでさらっと流してもうたが、ここは素直に祝うところや。 「あのオッサン、よう説き伏せたな」 「まあな。けどよ、婚約までは許してもらえたけど、結婚は職について生活基盤がしっかりするまでダメだって言われてんだ」 「可愛い娘に苦労させたないんやろ。ホンマ仲ええ親子やし」 湯飲みを掲げて乾杯の真似事をすると、オレの隣に座っとる工藤も同じように湯飲みを掲げる。 和葉は姉ちゃんの隣。 あの頃も4人で集まると和葉と姉ちゃんで引っ付いとる事も多かったが、今日初めて婚約を知らされたんやから今までならからかいながら二人を並べて座らせようとしたハズや。 なのに、今も自分から姉ちゃんたちの婚約話を口にしながら、和葉は工藤に姉ちゃんの隣を譲ろうとはせえへん。 一体、何を考えとんのや? 「工藤君やったら、すぐやて。蘭ちゃんの花嫁姿、綺麗やろなぁ」 「和葉ちゃんも綺麗だったでしょ、服部君?わたしも見たかったな」 「ゴメンな、蘭ちゃん。急やったし、アタシがこんなやから、身内だけで式挙げたんよ」 「ううん、わたしこそごめんね。でも、和葉ちゃんのドレス姿綺麗だったろうなって思って」 「写真あんだろ?見せろよ」 「あんなモン、見んでもええやろ」 「あんなモンてなに!?」 「服部君たら、照れてんの?」 一頻り、工藤と姉ちゃんの婚約話で盛り上がる。 あの頃はこんな遣り取りが普通やったが、今はどうにも疲れる時間や。 胸ん中でひっそりとため息をつく。 和葉はもっと疲れとるやろとそっと様子を伺ったが、思った程にはこの時間が堪えとらんらしい。 初詣の時から感じとった違和感が更に大きくなった。 「そろそろ晩御飯作るね」 「疲れとるのにゴメンな?」 「ううん、久しぶりに和葉ちゃんに食べてもらえると嬉しい。レパートリーも増えたのよ?」 「楽しみやな」 「新一、手伝ってね」 「服部が料理するんじゃねえのかよ」 「和葉ちゃん泣かせたのは誰?和葉ちゃんは服部君に任せておくのが一番なのよ!」 姉ちゃんの命令に、工藤が渋々立ち上がる。 「服部君、台所借りるね」 「おう。エプロンは食器棚横のカゴにタオルと一緒に入っとるし、戸棚も冷蔵庫も適当に漁ってや」 「ありがとう。さ、新一もこれ着けて」 「何や、こうしとると新婚家庭にお邪魔しとるような気分やな」 「もう!ここは服部君と和葉ちゃんの愛の巣でしょ!」 台所に立つ姉ちゃんが頬を染める。 それを眺めながら、和葉を呼んだ。 |
||