鏡幻月華 〜 十二の夜 〜 |
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蘭ちゃんと工藤くんが楽しそうに二人揃ってアタシらの側を離れた後、平次に呼ばれた。 「和葉」 その声には優しさが含まれとる。 表面だけやけど。 アタシは自分が座っとるソファから立ち上がることはせずに、手だけを伸ばす。 「ほんまに大丈夫なんか?」 「うん。平気」 「そうか、ならええんやけどな。それより、着替えるか?」 頷くことで答えを返すと、掴まれた手がそっとアタシを引っ張って立たせてくれた。 平次の声も仕草も相変らず優しい。 けど、何かがオカシイ。 それから蘭ちゃんたちに着替えることを告げ、アタシは平次にそっと肩を支えられるようにして寝室に向かった。 いつもやったら抱っこしてくれるんやけど、流石に蘭ちゃんたちが居る前でそれはしてくれへんのやなて思うたけど、どうやらそれだでは無いみたいやった。 リビングから少し離れた寝室に入ると、音をさせへんようにゆっくりと鍵を掛けた様子からしても 平次には何か含むモンがあることが分かる。 「さっきの涙はイミテーションやろ。工藤と何があったんや?」 「義眼を見せて欲しいて言われた」 前置きも何もなく行き成りそう聞かれたけど、これは予想してたことやから有りのままに答える。 「ほんでアレか?」 「うん。アタシが工藤くんの話に乗せられて、去年平次が作り直すときに虹彩の色に拘ってったて言うてしもたから。そうしたらオレも見たいて言われてしもた」 「”励まされて”とはどういうことや?」 アタシをベットの端に座らせて、自分は少しな離れた場所に立ってるんやろう。 平次の声は、上から冷たく降ってくる。 これだけでも平次の様子がオカシイんはよう分かるけど、きっと本当にアタシに聞きたいコトは工藤くんとのコトやないはずや。 やから車での遣り取りを全部説明した後でも、平次はアタシに近づいては来んかった。 「平次寒い…」 堪りかねたアタシは両手を前に出し、平次に縋ろうとしたけど届かない。 「へいじ…」 「寒いんやったら、姉ちゃんに温めて貰えや」 「………」 ああ、これが平次が一番アタシに聞きたいコトなんや。 「何でそんなこと言うん?」 「オマエは姉ちゃんともっぺん仲良うなりたいんやろが」 「そうやけど…」 「やったらオレやのうて、姉ちゃんに言え」 平次の声は更に冷たさを増し、突き放すような響きさえ混じる。 しかも感じる視線は痛いくらいや。 アタシの心の中を見透かそうと、何一つ隠し事などさせないように。 「平次、蘭ちゃんにヤキモチやいてるん?」 「オマエはどう思うんや?」 わざと軽い感じで言うてみたんやけど、あっさりと返されてしもた。 工藤くんもそうやけど、当然平次にもアタシの駆け引きなん通用するはずがない。 分かってたことやけど、これで平次が本気なんやということも分かってしもた。 「アタシは蘭ちゃんともっぺん友達になりたいだけや」 「ほう」 「平次は今のアタシらのコトがばれるんを心配してるんやろ?それやったら…」 「アホ言うな」 「え?」 「オマエは誰のもんや」 「………」 アタシは大きな勘違いをしっとったかもしれへん。 「オマエは誰のもんやて、聞いてるんや」 「アタシは平次のもんや。でも」 「でもも、くそ、もあるか。オマエはオレのもんや」 「そんなんアタシかて分かってる」 「分かってへん」 「へい…」 「オマエは分かってへん。オマエの全部がオレのもんやていうことは、心の中も全部オレのもんやっちゅうことや」 「そ…」 「それやのに、姉ちゃんと友達になりたいやと?」 「………」 どないしたらええんやろ… アタシのしとった勘違いは大き過ぎて、このままやったら取り返しのつかないことになってしまう。 アタシはただ、ただ本当に蘭ちゃんともっぺん友達になりたかっただけやのに。 「アタシは…」 暖房の効いた部屋やのに、身震いしたくなるような冷たいもんが体の表面を流れていく。 アタシの答えしだいで、平次は蘭ちゃんを殺そうと考えるやろう。 もしかしたら、すでにそんなコトを考えとるかもしれへん。 それほどまでにアタシのすべては平次のもんやってことを、アタシ自身分かっとったはずやのに。 他の女ともアタシとも明らかに違う蘭ちゃんに会うて、浮かれてしもてた。 もしかしたらこんなアタシでも、また女友達が出来るかもしれへんて思ってしまった。 「アタシは蘭ちゃんが欲しい」 ここでアタシが今更、蘭ちゃんのコトなんどうでもええなん言うても、それは絶対に平次には通用せぇへん。 むしろ、逆の結果を招くことになるやろう。 それならいっそ、素直な気持ちを平次にぶつけた方が… 「蘭ちゃんはアタシが無くしたモンをぎょうさん持ってる。今のアタシには平次がすべてやから、それでもええんやけど、それやと本当にアタシは外の世界からはみ出してしまう」 「やから、姉ちゃんが必要やと」 「それに…」 「何や?」 「それに蘭ちゃんには工藤くんが居てる。他の女みたいに平次に気に入られようと媚を売ったりせぇへん。そんな女、篭に入ってから1人もいいひんかった。みんな平次のことばっかり気にして、アタシに親切にしてくれるんやって、全部平次ためや。アタシの友達やってそうやった」 「………」 「やけど、蘭ちゃんは違う。蘭ちゃんはアタシだけを見てくれる。蘭ちゃんやったら、アタシは安心して側に居れるんよ」 これが今のアタシの本当の気持ち。 平次は、どう思うたやろか… 「和葉には姉ちゃんが必要いうことか?」 アタシん対しての呼び方が『オマエ』から『和葉』になった。 平次の中で何かが変化したいうことや。 そして、ソレはええ方向に。 「なぁ平次、アタシに蘭ちゃんチョウダイ」 もう一度ゆっくりと、平次が居る方向に向かって両手を伸ばす。 そしたら、今度は宙を掴むことなく、少し冷たい平次の手がそっと捕まえてくれた。 「和葉の望むことやったら何やって叶えてやる」 「ほんま?」 「ああ。やけどオマエがあんまりにも姉ちゃんに執着すようやったら……。分かるな?」 「うん。蘭ちゃんはあくまで遊び相手やから」 「オモチャいうことか?」 「生きてるお人形……んっ…」 アタシが言い終わらんうちに凄い力で引き寄せられて、強引に舌を差し込まれた。 口の中のすべてのものを奪い去ろうとするような、息も出来へんくらい執拗に攻められる。 やけどそれでもアタシには足りなくて、手は勝手に平次の体の上をすべり始めた。 「今はあかん」 「ちょっとだけ…」 「もう少しだけ我慢せぇ」 「アタシはずっと我慢してええ子にしてる」 「そうやな。多少問題は有るが…」 「へいじ?」 「姉ちゃんのコトは今すぐには無理や」 「工藤くんのこと?」 「そうや。アイツはそう簡単にはこっちの思い通りにはいかんからな」 「どうするん?」 「それはこれからじっくり考える。下手に動いて、逆にアイツに勘ぐられてもやっかいや。和葉もこれから気ぃ付けて、あまり姉ちゃんにくっ付くんやないで」 「分かった」 良かった。 これで平次が蘭ちゃんを始末しようなん、思うことはもうないやろ。 それにいくら平次でも、工藤くんはそうそう簡単に手が出せる相手やない。 それからはいつもの優しい平次やった。 あんまり長い間リビングを離れると不振に思われるからいうて結局アタシは平次から引き離され、外出用の厚手の服からアタシが動き易い薄手のワンピースに簡単に着替えさせられた。 そしてここに来たときと同じ、そっと肩に手を添えられてリビングに戻る為ゆっくりと歩き出す。 そやけど、数歩歩いただけで平次は足を止めてしもた。 「どしたん?」 「『人形』は二度と作るんやないで」 「………」 「例えそれが姉ちゃんやってもや」 アタシは顔は前に向けたまま、意識だけ後ろに居る平次に向けてゆっくりと頷いてみせた。 そうや、今のアタシらに『人形』は禁句やった。 「かんにん平次。もう絶対に作ったりせぇへんし、『生きたお人形』なん言わへん」 「姉ちゃんはいつかオレが和葉にくれたる。やから、それまで待っとれ」 「うん。平次がくれるまで楽しみに待っとる」 「和葉はええ子や」 閉じた瞼の上に、優しいキス。 「ほな行くで」 アタシらは再び昔の自分の仮面を被り直して、寝室のドアを開けた。 けどキッチンから聞こえてくる楽しげな声はどこかとても遠くに聞こえて、自分たちとは違う世界のモノのようやった。 |
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