鏡幻月華 〜 四の昼 〜 |
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羽織の袖をツンツン引っ張っても、平次は車を止めてくれそうもない。 ええ子にしとったのに、ええ子の和葉を演じとったのに、あんまりや。 「なぁ、なぁ、平次ぃ。ちょっとくらいええやんかぁ」 「あかん。これから工藤らに会うんやで。少しでも不自然な態度見せてみ?すぐに怪しまれるやろが」 「やったら、尚更やん。アタシが可笑しな態度せぇへんように、今の内にこのムズムズ静めとかな」 「静めるか…、オマエもたまにはええこと言うな」 「そやろ!ほな…」 平次が何や車止めてくれたような気配がしたから喜んでその体に乗ろうとしたら、呆気のう押しのけられてしもた。 しかも平次はアタシを退かしたまま、後部座席ん方に手を伸ばしてゴゾゴゾしてるみたいや。 やから先に文句を言うてみる。 「おもちゃは嫌や」 「そんなしょうも無いことせぇへんて」 それやのに妙に機嫌のええ声やし、さらにまだ温い温いとか聞こえてくるし。 「それも嫌や!」 見えへんけど今正に平次が手に取って、アタシに差し出そうとしとるモンを全面拒否。 「何やと?オマエはオレがせっかく和葉の為だけに、わざわざ淹れてやったモンが飲めんとか言うんか」 「そんなこと言うてへんやん。ただ、ソレが嫌やて言うてるだけやんか」 「いつものジャスミンティやで」 「いつの”いつも”なん?」 「いつも言うたら、いつもや。和葉がいっつも気持ちようなってるヤツやんけ」 「なってへん!」 「よう言うで。いっつもいっつも爆睡しとるやんけ。身も心も静まるし、ちょうどええやろ」 「寝てるだけやんか!アタシは寝むたない!」 やっぱり平次が出したんは、例の睡眠薬入りのジャスミンティやったんや。 いつごろからか平次はアタシを静かにさせたいときに、きまってコレをつかようになってしもた。 「工藤らと会うたら初詣に行く言うたやろ。和葉は普段ほとんど動かんから体力なんないんやし、今の内にしっかり蓄えておかんとな」 「寝たない…」 口調はさっきまでと変わらへんけど、平次が醸し出す雰囲気が少し変わったからアタシの強気は消えていく。 こんなところで平次を怒らせるわけにはいかへんから。 「今日なん渋滞しとるやろうし、京都駅に着くんは丁度ええ時間になるやろ。その頃には目ぇも覚める」 「アタシ起きときたい…」 「和葉はええ子なんやろ」 「…………んっ」 頭をしっかり捕まえられて口の中に指を差し込まれた思うた瞬間に、指は硬いモノに変わり液体が流し込まれた。 もうこうなったら、少しずつ流し込まれるジャスミンティを飲み干すしかない。 「和葉はええ子やな」 薄れて行く意識ん中で、平次がアタシにキスをしながらそう呟いたのが微かに聞こえた。 次にアタシの意識が戻ったんは、ほんまに京都に着いてからやった。 平次がいったいどんな薬を使うてるんか知らへんけど、目覚めたときの気分も悪うないし体もだるくない。 やけど今のアタシは少しだけ気持ちが、斜めになってるんは仕方無いやろ。 ほんでもって平次の説明によると、ここは京都駅に一番近い交番らしい。 しかも、ここで蘭ちゃんたちと待ち合わせとる言うからびっくりや。 「他のヤツやったらオレかて、こんな場所で待ち合わせなんせぇへんで」 「もしかして、交番の前に車止めてるん?」 「もしかせんでも、交番の駐車場や。路上駐車は犯罪やしな」 「オマワリさんは…」 「おお。ばっちり、目の前におんで」 「………」 ああ、あかん。 せめて蘭ちゃんらが来るまで、平次から少しでもご褒美の前払い貰おう思うてたのに。 誰か人が居ったら、しかもそれが警察の人やったら、尚更そんなん無理や。 平次は外の世界では今まで通りの服部平次を演じてるんやから、自分の手ぇがとっくに真っ赤に染まってたとしてもそれが誰にも知られてない限りその演技を崩したりはせぇへんから。 ヘイジハアタシダケノモノナノニ…… 平次を怒らせたくない気持ちと、アタシだけのモンや、いう気持ちが鬩ぎあって軽いジレンマが沸き起こる。 両手を組み合わせて握っていたのを、指に力を込めたまま力いっぱい引き離した。 「あっ……あぁぁ…」 今の行動自体はまったくの無意識やった、と思う。 別に痛みが欲しうてやったコトやない。 「アホッ!!何しとんねん!!」 思わぬ痛みに体中に快感が走り、さっきまでのジレンマなん木っ端微塵に吹き飛んでしもたけど、それとはまた違う波がアタシに広がってしもた。 モット…モットモット…… 「オマエちゅうヤツは……何べん言うたら分かるんや!」 平次の許しもなく自分の体に傷を付けたアタシは、結局また平次を怒らせてしもた。 そやけどどうしようもない。 やから、もっと気持ちええをチョウダイ。 更なる痛みを快感を求めて、平次の声なん聞こえない振りをしてさらに手に爪を立てようとしたら、凄い力で両腕を掴まれて引っ張られた。 両腕を揃えたような形で引っ張られたまま、手に痛いくらいの平次の視線を感じる。 睨むくらいやったら、いっそ噛み付いてくれたらええのに。 「ふぅ。これやったら傷も残らんし、赤みも痛みもすぐにのうなるやろ」 「もっと…」 「あかん。そん代わり、こうしてやるから我慢せえ」 「あっ…」 左の手の甲にぬめっとした生温かいモノが触れ、それがしっかりと肌の上を行ったり来たりする。 「ああ………気持ちええ……」 「和葉の気持ちはオレかて分かってる。昨日からずっとええ子にしてるんや、褒美が欲しいんも分かっとる」 「……やったら…」 「そやけど今はあかん。工藤はなめてかかれる相手とちょうことぐらい、和葉かてよう知っとるはずや」 いつもやったらアタシが傷を作ったらどうすることも出来へんくらいに怒る平次が、少し低い声でまるでアタシをあやす様に優しく語りかけてくれる。 「アイツの前では今まで通りのオレらを演じるんや。絶対に疑問を持たれるようなことをしたらあかん。そうやないとどんな小さなことからでも、アイツは何かを探り当てる。そうなったら」 そこで平次の声はぷっつりと途切れてしもた。 まるでそこから先はアタシに察しろと言わんばかりに。 「……ご褒美」 やけどこれだけはどうして譲れへんから、怒られる覚悟で言うてみた。 快感を求める気持ちを押さえ込むんは大変や。 その大変な努力をするんやから、それなりのご褒美が欲しい。 「ご褒美増やして」 「はぁ………今のオマエに何かを期待したオレがアホやった」 「ご褒美ぎょうさん欲しい」 「ええやろ。きっちり”遠山和葉”を演じきったら、好きなだけくれたるわ」 「ほんま!」 「ほんまや」 アタシが傷を作ったのに怒りもせん平次は、何か知らんけどご褒美倍増の約束までしてくれた。 それが嬉しうて、アタシは体を乗り出して運転席に座っている平次に思わず抱き付いてしまう。 「何やってんだオマエら?」 そんな感動の場面を邪魔したんは、聞き覚えのある声やった。 |
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