「 CHESS 」 |
notation 10 |
「 zugzwang 」 |
平次は新一から忠告されたあの夜から、和葉について考えていた。 自分にとって和葉とは何かと。 しかし、考えれば考える程その答えが見付からない。 迷宮に迷い込んだ様に、一向に自分を納得させられるモノが見えて来ない状況に陥っていた。 「好きか?」と聞かれれば、「好きや」と答えるしかないだろうと考えている。 ただ、「その好きが何を意味するか?」と聞かれれば、「幼馴染やから」と今までなら答えていた言葉が出なくなっていたのだ。 ・・・・・・・・・・・そやけどなぁ・・・・女として好き言うんもなぁ・・・・・・・・・・・・・ 18年もの間一緒にいた相手だ。 そんな感情が自分の中にあるとは、平次は新一に言われるまで思いも寄らなかった。 これはいくら平次の明晰な頭脳を持ってしても、早々簡単には解き明かされる問題ではなかったのである。 1人で悶々と考え倦ねた末、とにかく和葉にもう一度会ってみようと平次は新幹線に乗り込み大阪に帰ることにした。 何度か電話してみようかとも考えたが、変に意識してしまっている今、妙に気恥ずかしくて結局直接顔を見ることに決めたのだ。 大学に進学してから初めての帰郷。 夏休みも事件やサークル・バイトなどに費やしたが為に、里帰りする機会を逃していたのだった。 大阪駅に着くとすぐに在来線に乗り換えて、寝屋川を目指す。 今日は土曜日だが、和葉は予定が無い限り家で家事をしているはずだと平次は思っていたからだ。 父子家庭の和葉は高校生のころから忙しい父に変わって、家の喚起や掃除などを土曜日の午後にしていたのである。 寝屋川駅で電車を降りてからは、徒歩で和葉の家に向う。 途中、何度か平次の方を見て騒いでいる女達を視界に納めたが、特に気に掛けたりはしなかった。 こんな光景は今に始まった事では無い。 だから平次は、そんな女達に今までとは違う表情が現れているなどとは想像だにしなかったのである。 そんな平次だったがだんだんと和葉の家が近付くに連れて、すれ違う年配の人達までもが平次を見て何かひそひそ話している様子でやっと違和感を感じ始めた。 「何や?」 蘭同様自分の格好がどこか変なのかと、確認してみたが特に可笑しなところは無い事で更に疑問に思う。 明らかに自分を見る様子が変だとは思うが、その理由が分からないのである。 平次がこの辺りを歩くのは特に珍しい光景では無い。 この半年程来ていないが、平次が和葉の家を訪れるなど高校時代は日常茶飯事だったはずだ。 「まさか・・・」 ここに来て始めて、和葉に何かあったのかと思い当たった平次は、全速力で走り出した。 そして最後の角を曲がったところで、目の当りにした光景にそれ以上一歩も踏み出せずにその場に立ち止まってしまった。 「な・・んや・・・これ?」 遠山家の塀には、隙間が無い程びっしりと辺り一面落書きされているではないか。 閑静な住宅街の中で、それは余りにも異質な光景だった。 これらの落書きは、和葉への嫌がらせが始まったころと同じくして行われ始めた。 和葉の父は何度か業者に頼んで塀全体を塗装し直したのだが、その度に新たな落書きをされていたのだ。 それは和葉が大阪を離れた今でも同じだった。 もちろん平次がそんなことを知るはずも無く、その驚きは彼の思考を一瞬真っ白にした。 「なんで・・・こんな・・・・。」 壁に書かれている文字や絵は、猥褻なものから和葉への中傷らしきものまである。 「そや・・・和葉!」 平次は再び、遠山家の玄関に向って走り出した。 「おまえら何やってねん!」 門の所にいる2人の女が何やら遠山家のポストを覗いている。 「はっ服部くん!」 2人は平次の顔を見るなり驚き固まってしまった。 「美墨と九条?お前ら和葉ん家で何やってねん?」 2人は平次と和葉の同級生だったのだ。 「服部くんこそ今頃和葉になんの用なん?」 「ちょっと秋子・・。」 「瞳は黙っとき。」 美墨秋子は不振がる平次を睨み付け、 「和葉やったらここには居らへんよ。さっさと帰り。そんで、二度と来たらあかんよ。」 と言い切った。 「はぁ?何言うてんのやお前?」 「服部くんがここに来るんは迷惑やて言うてるんや。」 「何でお前にそんなこと言われなあかんのや!それに何やこの落書きは?!」 「・・・・・・・あんたのせいや・・・・。」 秋子は平次の言葉に歯を食い縛る様に呟いた。 「全部あんたのせいや!あんたが」 「秋子!」 瞳が慌てて秋子を止めた。 「服部くんは何も知らへんのやから・・。」 その言葉に秋子は大きな深呼吸をしてから、 「とにかく服部くんは帰って。和葉やったら当分ここには帰ってけぇへんから。」 と平次に背中を向けた。 「それはどういうことや?」 「服部くんには関係無いことやから。早どっか行って。」 平次はそんな2人の態度に痺れを切らして、 「言いたいことがあるんならはっきり言えや!!」 と秋子の腕を強く掴んだ。 「和葉に何があったんや?!!和葉はどこや?!!」 平次の余りの剣幕に秋子と瞳は一瞬視線を交わし、それから諦めた様にゆっくりと答え始めた。 その内容は平次には信じられないモノだった。 だがこの現状はそれが真実だと物語っている。 壁一面の落書き、ポストに入れられている卑猥なチラシや嫌がらせ。 そして何より、和葉の携帯番号はすでに使用されてはいなかったのだ。 平次は2人がいなくなった後も、独り、和葉の家の前でいつまでも呆然と立ちつくしていた。 |