「 CHESS 」 |
notation 12 |
「 sacrifice 」 |
大阪に帰った日、平次は実家に泊まりはしたが結局一睡もすることは出来なかった。 和葉の家から自分の家に辿り着いた時には、日はすっかり沈み夜半と言ってもよい時間であった。 平次の母である静華は、突然のことに初めは驚いていたが、久しぶりの息子の帰宅に喜んで迎え入れた。 しかし平次は母のそんな心使いなどお構いなしに、矢継ぎ早に和葉のことを質問したのだ。 「おかん!何で黙ってたんや!」 「和葉がこんな酷いめぇに合ってたんを、どうしてオレに教えてくれへんかったんや!」 「何でオレだけ蚊帳の外やねん!」 そんな息子を少し悲しそうな目で見詰めてから静華は、取り合えず平次を居間に座らせた。 「和葉ちゃんのこと誰に聞いたん?」 「さっき和葉ん家に行った。そしたら壁にごっつう落書きされとった。」 「そうか。」 「そんで、そこに居った美墨と九条からだいたいのことは聞いた。」 「みんな和葉ちゃんのこと気に掛けてくれてるんやねぇ。」 「やったら何でオレに言わのや!」 静華はすうっと目を細めて、 「あんたに何が出来たん?」 と冷たい程の声音で言い渡した。 「あんたに和葉ちゃんのこと知らせたところで、あんたにどうすることが出来たん平次?」 「そっ・・それは・・・」 「あんたに和葉ちゃんを守ってあげることが出来たんか?」 「オレやったらもっと・・」 「思い上がるのもええ加減にしいや。」 「おかん・・」 「あんたが何か言うたかて余計に和葉ちゃんの立場を悪うしただけや。」 「・・・・・・・」 辛そうな表情で唇を噛み締める平次に、今度は体の力を抜いて静華はなるべく優しく話し掛けた。 「今度のことはあんたのせいやない。もちろん、和葉ちゃんのせいでもない。うちも平蔵さんも、もちろん遠山はんもそれは分かってる。そやけどな、分かってても納得の出来へんことはあるんや。特に遠山はんは和葉ちゃんがこない酷い目ぇに合うてんのに、気付くんが遅かった言いはって随分落ち込んではったわ。うちも遠山はんから聞かされるまで知らんかったし。和葉ちゃん・・・独りで耐えてたんやねぇ。」 平次の握り締められた拳からは、完全に血の気が引いている。 「あんたに知らせへんかったんは、騒ぎをこれ以上大きゅうせん為や。平蔵さんらも相手が不特定多数やから、取り締まるにも出来へんかったし、何より和葉ちゃんの身の安全が最優先やったからや。」 静華のその言葉に、平次が勢いよく顔を上げた。 「和葉に何ぞ・・」 「・・・・・・和葉ちゃんな、なんべんか襲われそうになったらしいわ・・・」 「なっ!」 「もちろん、何もなかったんやで。そやけど、これ以上みんなに迷惑掛けられへん言うて・・・」 平次にはそれから先の言葉は上手く理解できなかった。 今日聞いた和葉に関する話と、夏に東京で会った和葉の態度が余りにも違い過ぎて、平次にはついて行けなかったのだ。 もちろん、みんなの言っていることの方が正しいというのは分かっている。 探偵としての立場からなら、どんなに信じられない事柄でもそれが真実だと容易く理解出来る。 しかし、今の平次は探偵では無い。 服部平次という一人の人間として、現実の出来事に感情がついて行け無いのだ。 ・・・・・・・・・・・あいつは笑うてたんや・・・・・俺の前で・・・・・普通に笑うてたんや・・・・・・・・・・・ あの時、和葉の様子から、平次は何も感じ取ることが出来なかった。 母親の話す内容から、あの時の和葉はもっとも辛い状況だったに違い無いと思うと、平次は自分の不甲斐なさに情けなくなった。 しかも、そんな和葉に平次は何をしたかと言うと、出来たばかりの恋人を嬉し気に紹介したではないか。 自分のことを好きだと言ってくれた和葉に、その為に辛い思いをしてる和葉に。 平次は何一つ和葉の気持ちを考えてやることなく、自分の自己満足の為に、和葉に自分の口から恋人が出来たことを報告した。 その時は、それが和葉への礼儀だと本気で思っていたのだ。 ・・・・・・・・・・・俺はほんまもんのアホやな・・・・・・・・・・・ 母親に進められた食事も入浴も断って、独り、自室のベットに寝そべって天井を見上げる。 目に浮かぶのは、笑っている和葉の姿。 どんな話を聞かされても、どんなに現状を突き付けられても、平次には和葉の笑顔しか思い出せない。 和葉の気持ちを退けた時も、恋人を紹介した時も和葉は笑顔だった。 その下にどんな感情が隠されていたか何て、平次は想像だにしたことが無かったのだ。 今更どんなにそれを悔やんでも、取り返しはつかない。 「和葉・・・・・すまん・・・・・・・」 平次は両手で顔を隠すと、自分の感情を押し殺すみたいに大きく息を吸った。 そして平次は一睡もすることなく、朝一番の新幹線で大阪を後にした。 本当は和葉を苦しめたすべてのやつらに復讐してやりたかったのだが、静華から、 「和葉ちゃんが大阪を去ってやっと少し落着いてきたんや、たとえあんたでもそれを蒸し返す様なことはうちが許しまへんで。」 ときつく言い渡されたのと、 「あんたどんな顔して遠山はんに会うつもりなん。遠山はんの気持ちも考えや平次。和葉ちゃんがこないなって、一番辛いんはあんたやない、遠山はんや。その遠山はんが我慢してはるんや、あんたがでしゃばってええはずがない。」 と忠告されたからだった。 しかし、一番の理由は他にあった。 秋子や瞳、さらには静華からも、和葉自身の気持ちが見えて来なかったのだ。 みんな和葉が相当辛い立場にあったと訴えるが、和葉がどう思っていたのかは知らないみたいだった。 和葉が、「あたしは平気やから」といつも笑顔で答えていたくらいしか。 ・・・・・・・・・・・毛利のねちゃんなら何ぞ知ってるはずや・・・・・・・・・・・ 新一から、ゴールデンウィークに蘭が大阪に行ったことを平次は聞いている。 その時すでに和葉への嫌がらせは始まっていたはずだ。 それなのに、夏に和葉が東京に来た時、蘭の態度は今までと変わっていなかった。 それはつまり、蘭が和葉の気持ちを知った上で、和葉に協力したと考えるのが妥当だろうと平次は思ったのだ。 名古屋を過ぎたくらいで、平次は蘭の携帯を鳴らした。 蘭は突然の平次からの電話に初めは戸惑ったみたいだが、すぐに状況が飲み込めたのだろう、硬い声で待ち合わせ場所を指定してきた。 その声音から、平次は蘭がすべて知っているのだと確信する。 座席に戻って、もう一度思い返してみる。 和葉同様、蘭の態度にもどこにも可笑しなところや不自然な様子は思い出せない。 いつも優しい笑顔で、ほのかにまで笑って話し掛けてくれていたではないか。 平次は大きく溜息をつき、、 「ほんまアホやで・・・・・・」 と泣き顔を隠すみたいに前髪をかき上げる手を途中で止めた。 蘭がいつもと変わらない態度で接してくれたのは、きっと和葉に頼まれたから。 和葉が蘭にいままで通りにして欲しいと懇願したのだろうことは、流石の平次にでも想像がつく。 でなければ和葉のことを親友だと言う蘭が、黙っているはずがないからだ。 そして誰一人として平次に連絡を寄こさなかったのも、和葉自身が口止めしていたのだろうことも。 「和葉・・・・・・お前もアホやな・・・・・・・」 その呟きは余りにも小さくて、誰の耳にも届かなかった。 |