「 CHESS 」 |
notation 17 |
「 prophylaxis 」 |
和葉は大学の友人と、主にルース・ストーンを扱う宝石店に来ていた。 「どんなんがええんやろ?」 ガラスケースの中に並べられているのは、様々な形や宝飾を施された指輪。 「和葉の恋人ってどんな人なの?」 隣で一緒にケースを覗き込んでいるのは、クラスメイトで特に和葉と仲の良いキャサリン。 「こ・・恋人?」 聞きなれない言葉に、思わず聞き返してしまう。 「なんで驚くの?」 「やって行き成り恋人なん言われても・・」 真っ赤になってしまった和葉を見てキャサリンは、 「ぷっ。和葉って可愛い〜〜!」 とそのほっぺたにキス。 「なっ・・・なにすんのキャサリン?!」 「日本人てみんなそうなの?恋人って言われたくらいで真っ赤になるなんて、私には考えられないだもん。恋人は恋人なんだし、自慢することはあっても照れる必要なんかまったく無いし。だから、和葉の反応はとっても新鮮なのよね〜。」 早口で今一つはっきり聞き取れなかったが、キャサリンの態度からだいたい意味を察した和葉は、 「まだ慣れへんのやからしゃ〜ないやん。からかわんとって。」 と精一杯の反論。 「で〜も〜、その彼への初めてのプレゼントが指輪だなんて、和葉もやるわね。」 「やって今朝家出るとき突然探が、指輪ちょうだいって言うやんもん。」 何で行き成り指輪なんかこっちが聞きたいわ、と和葉は日本語の小声で付け足した。 「指輪をちょうだい?(give me a ring?)」 「そうやで。」 キャサリンの不思議そうな顔に、和葉も不思議そうな顔で答える。 「別れるときに?」 「やから、そう言うてるやん。」 するとキャサリンは突然大きな声で笑い出してしまった。 「あははは・・・・。なんだ・・・そういうことなの・・・ははは・・・」 「ちょっと何なんよ?何がそんなに可笑しいん?」 笑いの止まらないキャサリンに、和葉はとうとう怒り出してしまう。 「ごめ〜ん。気にしないで〜。ねぇ、どうせならステディリングにしない?1つ買うのも2つ買うのも一緒でしょ〜。」 「はぁ?ちょっとキャサリン!」 そんなことにはお構いなしでキャサリンは、ショーケースの一角に飾られている2個で1セットになっている指輪のコーナーへと和葉を引っ張って行った。 「結構いろいろあるのね〜。ねぇ、ちょっとこれとこれとこれ、見せてくれない?」 おろおろしている和葉を余所に、キャサリンは店員にケースの中身を出すように急かす。 「彼のことは知らないけど、和葉ならこれかなぁ〜?和葉、左手出して。」 和葉は言われるままに、左手を持ち上げる。 「ちょっとじっとしててよ。」 キャサリンは出された指輪を順番に和葉の指に入れたり取ったり。 その間和葉は、ただぼうっとケースの中を見詰めていた。 「あっ。」 「どうしたの?」 「あれ、あれを見せて下さい。」 和葉が指差したのは、ケースの一番端にそっと置かれているシルバーの指輪。 その指輪は柔らな曲線を持っており、2つの指輪を合わせると真ん中に絵柄が完成するタイプの物だった。 「ちょっとシンプル過ぎない?」 「そうかなぁ?そやけど、あたしにはこんくらいがええわ。他の・・・結構ええ値段してるし。」 和葉は手に取って、指輪の内側まで覗いた。 「裏側に何や石も入ってるわ。」 店員の説明だとその石は恋人同士で身に付けていると行き違いを無くし、喧嘩が無くなり、愛を深めてくれるらしい。 「パープルサファイアなんやぁ。」 情熱の赤と冷静の青が交じり合った紫、という店員の言葉も和葉は気に入ったみたいだ。 「決めた。これにする。これ下さい。」 「和葉、早!」 「ええの!あたしはこれが気に入ったんやもん。」 和葉は一度言い出すと譲らない。 「そうね。シンプルな物の方が厭きが来なくていいかもね。それに、これのこの部分にイニシャル入れて貰ったら?」 キャサリンが絵柄の部分を指差しながら、 「ここにイニシャルくらい入るわよね?」 と店員にほとんど命令口調で聞いた。 すると店員はすぐに店の奥に入って、出来るかどうか確認してくれているみたいだ。 その後、出来るとの返事を貰うと和葉は、 「やったら、大きい方にK、小さい方にSと入れて下さい。」 と注文した。 「サイズはそのままでお願いします。」 「え?ちょっと和葉。これピンキーよ?いいの?」 「そうなん?あたしには丁度ええんやけど?」 和葉は小さい方の指輪を、するっと右手の薬指に通してみせた。 「ほっそ〜〜い!」 「探も男性にしては細い方やから、これくらいでええ思うし。」 大きい方の指輪は和葉の親指ですら、まだ余るほどなのだ。 「日本人て指も細いのね〜。」 変なところで感心してキャサリンは、和葉の指と自分の指を比べていた。 イニシャルを入れるだけなので2時間程で指輪は出来上がり、今日中に持って帰れることになった。 「今日はありがとなキャサリン。」 「いいって。でも、彼がどんな反応したか明日教えてよね!」 「うん。」 「じゃぁ、また明日ね和葉。」 「明日、学校でな。」 そう言ってキャサリンと別れた和葉は、いそいそと家路を急いだ。 しかし、探のアパートが見えてくるにつれてその足取りは、段々と遅くなっていく。 ・・・・・・・・・・・ど・・どないしょ・・・勢いで買うてしもたけど・・・・・・・・・・・ そう、キャサリンに乗せられてステディリングを買ったのはいいけれど、どうやって渡そうかと思案していたのだが、 ・・・・・・・・・・・指輪くれって言われたけど・・・・ペアとは言うてへんかったし・・・・・・・・・・・ そんな自分の考えに和葉の足は、とうとうアパートの入り口で止まってしまった。 ・・・・・・・・・・・探は気まぐれで言うたんかもしれんのに・・・. ・・・こんなん渡したら迷惑なんちゃうやろか・・・・・・・・・・・ 和葉の思考は勝手に悪い方へと向っている。 それも仕方が無い。 少し前まで随分と辛い思いをして来たのだ、明るい展望を見出せという方が無理なのかもしれない。 「和葉!」 そんな和葉がどうしても歩き出せずにその場に立ち止まったままでいると、エントランスから心配そうな探が飛び出して来た。 帰りの遅い和葉を心配して、迎えに行くつもりだったのだろう。 和葉は指輪を買うことで頭がいっぱいで、探に連絡を入れてなかったのだ。 「和葉?」 探の声にビクッと反応し、和葉は手に持っていた指輪の入った紙袋を慌てて後ろに隠した。 「そんなに慌ててどしたん?また事件?」 無理矢理笑顔を作って、普通を装う。 「和葉の帰りが遅いから、これから迎えに行こうとしていたところです。」 「え?そうなん?」 「そうです。遅くなるときは、電話かメールをしてと言ったはずですが?」 「うっ・・・ごめんなさい・・」 「それより、さっき隠したのは何?」 少し怒った声で、和葉の持っている白い紙袋を見る。 「えっ、あっ、こ・・・これは・・・その・・・」 和葉の思考は未だ悪い妄想に浸かったままだ。 「僕に言えないこと?」 「違う!そやなくて・・・」 和葉の視線は宙を彷徨う。 「嫌なら無理に言わ」 「ほんまちゃうねん!はいっ!これっ!」 探の言葉を遮って、和葉は両手で持って紙袋を探の前に差し出した。 「・・・・・・僕に?」 「これ買うてて遅なってん。」 「・・・・・今、見てもいい?」 驚きを隠せない探は、和葉から両手でその袋を受け取るとお礼も忘れて問い返した。 「う・・うん。」 袋の中の四角い箱は、赤いリボンと光沢のある白い紙で綺麗にラッピングされている。 ゆっくりとリボンを解いて、丁寧に包装紙を破いてしまわないように開く。 出てきたのは、優しい手触りの白いケース。 「・・・・・・・・・」 蓋を開いて、探の動きは止まってしまった。 その時間が和葉には随分長く感じたけれど、実際はほんの僅かな時間。 「や・・やっぱこれやとあかんよね。ええねん、嫌なら嫌って言うてくれて。今度はもっとええの1コだけ買うて来るか・・ら・・」 今度は探が和葉の言葉を遮るように、その体を思いっきり抱締めた。 「え?ちょ・・」 「ありがとう和葉!こんなに嬉しいプレゼントを貰ったのは初めてです。」 「ほんま?」 「もちろん!」 和葉はやっと安心したのか自分の腕も探の背中に回し、その胸に顔を寄せようとした。 が、 「そうだ!」 と言う声と同時に和葉の両肩を掴んで、探は体ごと彼女を引き離した。 しかも、 「ちょっと付き合って和葉。」 ときょとんとしている彼女の手を取ると、早足で歩き出してしまった。 「ちょ・・どこ行くん?」 「大丈夫。すぐ、そこです。」 何が大丈夫なん?と思いながらも、どこか嬉しそうにしている探に和葉も黙って付いて行くことにした。 着いた先は近所の公園の中にある、小さな教会。 「ここ?」 「ええ。」 探はそっとドアを開け、誰もいない教会に和葉を連れて入って行く。 「ええの?勝手に入ってもうても?」 「教会とはそういうところです。」 探の返事は答えになっていない。 彼は今、それどころでは無いのだ。 淡い灯に灯された礼拝堂は、神秘的で神聖な雰囲気が漂っている。 探は躊躇う事無くまっすぐに教壇の前に向う。 和葉が持っている荷物や自分のマフラーを最前列の椅子に置くと、和葉の為に持って出た白いストールを彼女にそっと被せた。 「探?」 そんな彼の行動が理解出来無いのか、和葉は不思議そうに呼びかけた。 「ここで誓いませんか?」 「え?」 「いえ、僕が誓います。」 探はそう言うと、そっと和葉の右手を持ち上げ、 「私、白馬探は遠山和葉を恋人とし、幸せな時も病める時も彼女を愛し、偽り無い心でいついかなる時も彼女を護り、側にいることを誓います。」 と和葉の右手の薬指に小さい指輪を優しく填めた。 驚きを隠せない和葉は両目を見開いてその様子を見詰めていたが、 「和葉も誓ってくれますか?」 と言う探の言葉に、照れた様な嬉しい様な笑顔を見せ頷いた。 「あたし、遠山和葉は白馬探を恋人とし、幸せな時も病める時も彼を愛し続けることを誓います。」 「短い・・・」 「ええの。その代り、気持ちがぎょ〜さん篭ってるから。」 少し拗ねた探の右手に大きい指輪を入れた。 「サイズ、合うてて良かった。」 「よく分かりましたね?」 「偶然やねん。これ、こっちの人にはピンキーなんやて。」 和葉は自分の指輪を探の指輪の近くに持っていった。 「僕らは体格的には、まだまだ劣るということですか。」 「ぷっ。探はごっつうなりたいん?」 和葉は何を想像したのか、小さく噴出した。 「遠慮しておきます。」 それでも探の声は、どこまでも優しい。 「今はまだ右手ですけど、いつかは・・・」 優しい声音と共に、和葉の左手薬指にそっと口付ける。 そして、白き布に包まれた恋人に誓いのキスを。 和葉も瞳を閉じて、それを受け入れる。 小さな小さな教会で、2人だけの誓いのキスを。 ”give me a ring” 指輪をちょうだい しかしイギリスでは、 ”give me a ring” 電話をちょうだい という意味を持つことを和葉は知らない。 |