「 CHESS 」 |
notation 18 |
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授業が終わっても、平次は席から立ち上がる気配を見せない。 新一は鞄にさっさと荷物を詰め込みながら、 「服部、これから目暮警部んとこにこの前の赤坂の事件について説明に行くんだけどよぉ。おめぇも来いよ。」 と平次の方を見向きもしないで話掛けた。 「・・・・・・・」 「聞いてんのか?」 いつもなら速攻で同意の返事が帰って来るのに、何の反応も無い。 「・・・・・。っておいっ!寝てんじゃね〜よ!」 やっとそのことに気付いた新一が、平次の肩を掴んで揺すった。 しかし平次は起きるどころか、そのまま前に突っ伏してしまう。 「起きろって!もうとっくに講義は終わってるぜ!はっとり!」 耳元で怒鳴って、どんなに揺すっても起きる気配がまったく無い。 「まじかよ〜〜。」 10分近く頑張った新一だったが、とうとう自分も席に座り直してしまった。 大きな溜息を付いて、改めて平次を見る。 左腕に頭を乗せて、右腕はペンを待ったままだらりと机の前に垂れている。 普段の平次なら、信じられない光景だ。 本人の持つ雰囲気からなのか平次はどこででも寝そうな感じだが、実際は余程自分が気を許した人間の前くらいでしか眠ることは無かったのだ。 それがこんな不特定多数の人間がいる場所で、しかも熟睡ときては流石に新一も置いて行くことが出来なかった。 「閉門までに起きるのか〜これ?」 現在はまだ午後3時前、閉門の10時までは7時間以上ある。 いくらなんでもそこまで寝かせておく気は無いが、今の平次の状態ではそれも強ち無いとは言い切れない。 新一は再度大きな溜息を吐いて、昨日の出来事を思い出していた。 月曜日だというのに平次は朝から眠そうだった。 しかもここ何日か元気が無かったが、この日は朝から元気が無いというか不機嫌というかとにかく近寄りがたい雰囲気だったのだ。 講義を受けている間も無駄口一つ敲くことが無い。 新一も何かあったのだろうと察して、とくに理由を聞いたりはしなかった。 しかしその訳は、校門で平次を待ち構えていたほのかによって明らかとなる。 ほのかは平次を見付けるなり走り寄って来て、 「どうして?どうして突然暫らく会うのよそうなんて言うの平次?」 と彼のシャツを掴んで捲くし立てた。 「私の何が気に入らないの?言ってよ!言ってくれたらちゃんと直すから!平次が気に入るようにするから!」 隣には新一もいるし周りには多くの学生がいたが、ほのかはまったく気にも留めないで続ける。 「一方的に会わないなんて言われたって、納得出来きない!」 「すまん。」 取り乱すほのかとは対照的に、平次は静に答えた。 「どうして?だって和葉さん大阪にいなかったんでしょ?」 「何でお前がそれを知ってるんや?」 今度の平次の声は、前よりも低い。 「蘭さんに聞いたの!だって平次が急に里帰りなんてするから、心配になって相談したら教えてくれたの!」 「おま・・」 「ちょっと待った!!」 今まで黙って聞いていた新一だったが、蘭の名前が出て来てはそうもいかないらしい。 「場所変えねぇか?このままここで続けるのは、流石に他のヤツラに迷惑じゃねぇか?」 そう言って周りの状況を態とらしく見回して見る。 確かに通路の真ん中で立ち止まっている3人を、避けるように人波が割れている。 さらには興味津々で、立ち止まって聞いている輩までいる有様だ。 新一と平次が一緒にいればそれだけで女達の注目を集めるのに、それが恋人との別れ話ともなれば尚更。 よく見れば、遠巻きにこちらの様子を窺っている女達のなんと多いことか。 ほのかもやっと自分達を取り巻く状況に気付いたのか、新一に向ってこくりと頷いた。 「だろ?だったら移動しようぜ。なっ。そうだ。どうせならオレん家に来ねぇか?」 新一の突然の提案に、今度は平次が不思議そうな顔をした。 「おめぇだってこんな痴話喧嘩、あんまし外でしたかねぇだろう?」 新一の言葉には言外に、だからと言って自分の部屋にも帰れねぇだろうが、という含みも込められている。 「そやな。」 平次には伝わったようだ。 それから3人は、早々にその場を後にした。 新一の家に着くと、蘭が笑顔で迎え入れてくれた。 ほのかのことを考えて、新一が帰る途中にメールで呼んでいたのだ。 平次とほのか二人きりの方がいいだろうと新一が提案したが、ほのかがみんなの前で話しがしたいと言うのでリビングで4人向い合うことになった。 「私はどうしてなのか聞きたいの?」 ほのかは幾分落着きを取り戻したものの、その声は未だ震えたままだ。 「どうして私ともう会えないの?」 「・・・・・」 「他に好きな人でも出来た?その人私よりも美人?可愛い?ねぇ、何か言ってよ平次。」 「すまん。」 「昨日から、そればっかり!どうして、ちゃんと理由を言ってくれないの?」 「すまん。」 「・・・・・・・・・。あの人のせいなのね・・」 ほのかは下を向いて、履き捨てるように呟いた。 その一言に平次はもちろん、新一や蘭までもが驚きの表情を浮かべてほのかを見た。 「和葉さんのせいなんでしょ?」 「・・・・・」 「平次、出合ったころから和葉さんの話よくしてたもの。和葉がどうだったとか、和葉がこうしてたとか。いっつも言ってた。」 「服部おめぇ・・」 新一は言いかけた言葉を自分で飲み込んだ。 ほのかが言ったことは、新一にも蘭にも想像が付いていたことだったから。 「だから・・・和葉さんに会ったとき・・・・」 ほのかの言葉もそこで詰まってしまった。 しかし、そこから先の言葉は誰も聞かなくても分かっていた。 「私・・・和葉さんの代わりだったの?」 「それは・・・ちゃう・・・」 「だったら・・・やっぱり和葉さんの方が良くなった?」 「それは・・・」 「でも・・でも和葉さんいないんでしょ?」 「・・・・・」 「蘭さんそう言いましたよね?」 ほのかは急に蘭に問いかけた。 俯いて二人の話を聞いていた蘭は、どう答えたらいいのか分からず上げた視線を平次に向けた。 「そうや。和葉は大阪には居らなんだ。」 蘭の代わりに平次が答えた。 新一は蘭が平次と会った日に、蘭から話を聞いていたので驚くことも無く、そっと優しくその肩に腕を伸ばして抱き寄せた。 「だったらどうして?」 ほのかの縋るような視線に、 「それでも、俺はあいつんことが・・」 と本心を答えようとしたが、 「イヤッ!!やっぱ聞きたくないっ!」 ほのかの叫び声に消されてしまった。 そのままほのかは泣き崩れてしまい、話し合いは中断してしまった。 「オレにも責任あるよなぁ・・・」 新一は身動きもしない平次を横目で見ながら、誰もいなくなった教室の天井を仰いだ。 平次に和葉への気持ちを自覚させるようなことを言ったのは、確かに新一だ。 だから、昨日も自分の家を提供したのだ。 しかも、蘭まで同席させた。 蘭から和葉のことを色々聞いてはいたが、蘭の気持ちも十分に分かってはいたが、敢えてあの場に蘭を呼んだ。 もしそうしなければほのかはきっと蘭に泣付いて、あれやこれやと問い詰めるだろうことが新一には予測出来たから。 それは蘭の立場を今以上に辛いものにしてしまう。 新一はせめてそれだけでも、避けたかったのだ。 自分の知らないところで蘭は今迄にも十分苦しんでいたのだ、少しでも減らしてやろうと思うのは当然だろうと。 「しっかし・・・」 新一の視線は、再び平次に戻った。 「元を糺せば、すべての元凶はコイツだよな・・・」 和葉が苦しんでいたことも、蘭が相談も出来ずに1人で苦しんでいたことも、ほのかが苦しんでいることも、すべて平次のせいなのだと。 新一はなんだか無償に腹が立ってきて、平次が座ってる居る椅子を軽く蹴飛ばした。 それでも、平次は起きる気配が無い。 平次が土曜日からほとんど寝てないことは、新一も知っている。 だが、文句の一つも言いたいと思うのも当然だろう。 新一はもう一度、平次の椅子を蹴った。 まったく起きる気配が無い。 「はぁ・・・。おっ!」 溜息の途中で何を思ったのか、新一はジャケットのポケットから携帯を取り出した。 「コイツがダメなら、アイツに仕返してやる。」 そう言って、どこかに電話を掛け始めた。 相手は留守なのか、それとも電話に出る気が無いのか、なかなか繋がらない。 それでも新一は諦めることなく、コールを鳴らし続ける。 その顔がとても意地悪そうなのは、見る者がいないこの場所では誰にも知られることはなかった。 今でも、和葉の現状を知っているのは蘭だけ。 蘭はどうしても、和葉がどこでどうしているのかは、誰にも話さなかったのである。 |