夏休み・・・・・ 青い空、白い雲。 連日35℃を超える、うだるような暑さの中。 海やプールはたくさんの人々で賑わい、笑い声や歓声で溢れていた。 でも、それは受験生にとって夢のような話。 高校3年になった和葉は、外の喧騒とは程遠いシーンと静まり返った家の中にいた。 父は数日帰ってきていない。 大阪市近郊で4日前より、一人歩きの若い女性の髪を切る通り魔事件が もう20件近くおきている。 時間も場所も一定ではなく、犯人の特定には時間がかかっているようだ。 平次は受験生だというのに、その事件にかかわっていた。 殺人事件ではなかったが、若い女性が無差別に狙われているこの事件。 「オマエが被害者になる可能性がある以上、外出は一切禁止や。 オマエのその髪はオレが守る。」 ちょっとカッコイイ言葉を残し、真っ赤になった和葉の髪をつるりと撫ぜて 行ってしまった。 そんな平次の思いを理解して家から一歩も出ない生活が、もう3日になる。 明日は約束の日になってしまう・・・・・ 一ヶ月くらい前、平次の部屋で東京の大学の案内を見つけた和葉。 どうやら東都大学を受験するつもりらしい。 それを知り、こっそりと和葉も東京の大学を受験することを考え出した。 調べてみると、東都大学の近くに女子大がある。 そして東京の蘭に相談し、この夏休みに行われるその女子大のオープンキャンパスに 一緒に行く予定にしていた。 その日まであと2日。 連絡をしないで急にいなくなったら、平次・・・・心配してくれるかな? などという、ほんの小さな期待と、気づきもしないかも、という大きな不安を持ちつつ いつも待たされてばかりの和葉は、平次にささやかな逆襲を計画していた。 蘭と蘭の父。そして和葉の親に協力をお願いしていたのだが、 この分だと本当に残念だが、中止になるかもしれない。 その時、静かだった部屋に、携帯の着信音が鳴り響いた。 これは平次ではない。誰かからのメール・・・・ 「・・・せ・・・先生・・・」 件名はなし。 本文はたったの4文字。 『大丈夫か』 「先生〜 大丈夫やないねん・・・・・」 和葉はつぶやき、今はもう平次や和葉の担任ではなくなった 改方学園の教師、小嶋に思わず電話していた。 去年の秋。 和葉は平次に、 「もう二度と小嶋とメールすんな! オレの事だけ考えてろ。」 と言われ2人の関係が、やっと変わったあの日。 それからしばらくは、小嶋からのメールはなかった。 しかし。 平次のかかわっている事件が長引いて、和葉の表情がくもりがちになった頃、 たった一言。 『大丈夫か』 と、メールが来るようになった。 平次からメールはするなと言われているので、 和葉はやはり、たった一言。 『大丈夫です』 とだけ返信していた。 自分の送信した分はすぐ削除し、小嶋からのメールは 暗証番号が必要な秘密のフォルダに保存してある。 もちろん暗証番号は、平次のバレないよう複雑な番号にした。 そのフォルダに保存してあるメールは5通ある。 いつも小嶋からのメールは絶妙なタイミングで届き、 たった4文字の言葉が、和葉の硬くなった表情を和らげてきた。 見守られているという安心感。 そんな気持ちを持っていることは、もちろん平次には秘密にして。 「・・・・もしもし? 遠山か。やっぱり服部は あの通り魔事件を 追っているのか?」 「はい、先生。いっつもええタイミングでメールありがとうございます。」 「実は、服部にメールするなって釘さされてるんだけどな。 やっぱり、落ち込んでいる遠山見ると心配になるし・・・ だから一言だけ。」 「そうやったんですか・・・・アタシ、先生に見守られてるって思うとホッとするんです。」 「そうか? なら良かったが。 で、遠山は大丈夫なのか?」 「それが先生―。大丈夫やないんです! 東京の友達と、むこうの大学のオープンキャンパスに参加する予定やったけど こんな調子やったら行けへん・・・・・」 小嶋への安心感からか、今まで1人で考えこんでいた不安を 言葉にしだした和葉。 「遠山、東京の大学受けるのか?」 「まだはっきり決めた訳やないけど、平次も東京の大学考えとるみたいやし。 一応アタシもって。」 「そうだったのか。いや実は俺もそろそろ東京で教師やろうかと思ってたんだ。 偶然だなぁ。」 「そうやったんですか。」 「で、そのオープンキャンパスは?」 「明後日やから、明日から友達のところに行くつもりやったんですけど・・・・ 実はこの話、平次には内緒で話を進めとったんです。 でも、父は今1人で外出たらアカン言うとるし、平次はもっとうるさいし。」 「あー、なるほどな。お父さんは心配するよなぁ。 ・・・・・だったら、いい方法があるぞ。」 「何ですか?」 「俺な、明後日から東京に帰省しようと思ってたんだ。別に予定があるわけじゃないから 明日にしても大丈夫だ。」 「え、先生。それって・・・・・」 「遠山が明日行くつもりなら、俺も明日東京に帰るようにすればどうだ?」 「ええんですか?」 「引率者がいれば、お父さんもOKするんじゃないか? まぁ服部には内緒にしておかないと、また大騒ぎになるだろうけどな。」 「そうですね。でも、どうせ内緒やったから大丈夫です。」 「じゃあ、遠山の家までタクシーで行って、そのまま出発すれば問題ないだろ。 今、外出するつもりだったから、ついでに遠山の家の確認でちょっと 寄らせてもらおうかな。明日のこと詳しく相談しよう。」 「はい、先生。ありがとうございます。」 和葉は大喜びで父に連絡をとった。 1年の時、個人面談で2回ほど小嶋と顔を合わせていて 好印象を持っていた父は、すんなりOKを出した。 その後、小嶋より和葉の父の携帯に連絡が入った。 教師としての事情説明は、当然とはいえ大人の対応として父は評価した。 緊急連絡先として知らせてあった携帯の番号だが、思わぬところで役立った。 和葉はその後、東京の蘭と連絡をとった。 詳しいことは言わずに。 明日行ける、と。 全てが予定通りになる、とだけ。 和葉の話を聞き、中止を覚悟をしていた蘭も大喜びした。 そんな蘭を、新一は複雑な表情で見つめていた。 平次は連続髪切り通り魔にかかりっきりのようだ。 なかなか犯人の特定に結びつかずに行き詰まっていると、 警視庁経由で耳に入ってきていた。 そんな状況で、和葉を1人で外出させるような事はしないだろう。 それとも、和葉は内緒で来るつもりなのか? 嫌な予感がして新一は携帯を手に取り、浮かれている蘭に気がつかれないように そっと部屋を出た。 「和葉ちゃん、ゴメンな。」 そうつぶやき、新一は普段あまりかけない番号に電話をした。 「・・・・おー、服部か? 実はな・・・・・」 新一から連絡を受けた平次は、捜査を放り投げ和葉の家に向かっていた。 黙って勝手に東京に行こうとしている和葉には、電話ではなく直接会って怒らなくては 気がすまない・・・と。 和葉を被害者にしないために、この数日平次は睡眠時間を削って走り回っていたのだ。 そんな気持ちを無視されたような気がして、平次はバイクのスピードをあげた。 和葉の家の近くまで来てバイクを止め、平次は自分の足で走り出した。 勝手な行動を取ろうとしている和葉に怒りはあったものの、 家に近づくにつれ怒りより、会いたいと思う気持ちが勝ってきた。 そして急に現れ、数日間会っていない和葉をビックリさせてやろうと思い立ったのだ。 ピンポーン♪ 荒い呼吸を整えて、平次は和葉の家の呼び鈴を押した。 中からパタパタと走ってくる音がして、誰と確認することなくドアが開いた。 数日ぶりの感動のご対面になるはず・・・・・・・・だった。 「先生―――、早かっ・・・・・た・・・・・。」 「・・・・・・・」 「へ・・・いじ、何・・・で・・・」 「オイ、先生って何や。誰が来るの待ってたんや!」 「・・・・・・・」 「誰なんじゃ!、言えっ ボケェ!!」 大声で怒鳴られて、ビクッとふるえ何も言えない和葉。 答えられない和葉を見て、平次は手の平を握り締め深呼吸をして一歩進み、 玄関ドアを後ろ手で閉めた。 「先生ってどこの先生のことや? オマエの周囲で、先生なんて呼ばれとんのは 学校の教師くらいやろ?」 「・・・・・・・」 「どこぞの先生が、何でオマエん家まで来ることになってんじゃっ! 和葉!」 「・・・・・・・」 「黙ってないで、何とか言えっちゅーてるんじゃ。」 「・・・・・・・」 「ほー、言えないような先生がここに来るっちゅー訳か? ま、ここで待っとったらその先生とやらと感動のご対面やな。」 ここで先生の名を言うべきなのか、隠し通すことは出来るのか・・・・・ 探偵であるというより、18年間こんなに近くで過ごしてきた平次には 隠し事など出来るはずがない・・・・ 和葉は泣きそうになる心を必死で隠し、言葉を探していた。 「へ・・・平次。」 「おう、やっと口開きよったな。」 「あ、あのな。平次は東京の大学受けんの?」 「はぁ? 何や急に?」 「前に平次の部屋で、東都大学の案内書見つけたんよ。 やったらアタシも東京の大学受けてみよかと思って、蘭ちゃんに相談したんや。」 「ほんで?」 「そしたら東都大学の近くに女子大があってな、工藤くんも東都大学受けるから 蘭ちゃんもその女子大受けるつもりやって聞いて・・・・・」 「ほー。」 「一緒に受けようかって誘ってくれたんや。ほんでその女子大のオープンキャンパスが 明後日あるからって・・・・・」 「オレに黙って行くつもりやった、ちゅーことかい。」 「平次、知っとったの?」 「おー、オマエが良からぬことを計画しとるってなー。」 「でも、通り魔事件があって外出んの怖いし、平次もお父ちゃんも外出ちゃアカンって・・・・ やからほんまに残念やけど、この計画中止せなアカンって思っとったん。」 和葉も東京の大学を考えていたと知り、平次は内心喜んでいた。 しかし、東京行きを中止にするつもりだったなら、なぜ工藤から報告が入ったのか? まだ判らないことが多い。 平次は怒った表情を崩さず、先を促した。 「そしたら先生が・・・・・」 「先生が、何や?」 「1人で行くっちゅーのが問題やったら、いい方法があるって。」 「何や、それ。」 「先生も明日、東京に帰省する予定やったから、一緒に行ってくれるって・・・・・」 「東京に・・・・・帰省? オマエ、まさか・・・・・アイツ・・・・・ それって、小嶋かっっ?」 「・・・・・・・うん・・・」 バシッ 乾いた音がして左の頬に衝撃が走り、和葉の小さな身体は靴箱にぶつかり座り込んだ。 「何やっとるんじゃっ! 去年、もう二度と小嶋にかかわるなって言うたやろっ! オマエ、ずっとオレに黙って小嶋とコソコソ会っとったんかーーー。」 「・・・・・ち、ちゃうよ。」 怒鳴っているのに泣きそうな表情の平次を見て、和葉は殴られたショックも忘れ 立ち上がった。 「もーええ。オマエは小嶋とでも誰とでも、勝手にどこでも行けや。 オレはもう、オマエなんぞ知らん。」 うつむいたまま言葉を吐き捨て、出て行く平次。 かけられた言葉に呆然とし、立ちすくむ和葉。 閉まった扉のパタンという音にハッとして、平次を追いかけようと ドアを開け大きな声で叫んだ。 「平次!! 待ってや。アタシ・・・アタシ・・・」 そこには、家の前に止まった車から出てきた小嶋と睨みあっている 平次がいた。 「よぅ、和葉がずいぶん世話になったそーやな。」 「いや、俺は何もしてないよ。」 「一緒に仲良く東京行くんやろ?」 「―――平次っっ!!」 「俺は教師として、一人で東京に行こうとしていた遠山の引率を するつもりだっただけだ。」 「何やと?」 「服部にとやかく言われるようなことは何もない。」 「フン! 表向きはそうやろーな。そういえばあんとき 後は卒業後にじわじわと、とか言っとったもんなぁ。」 「だから、そんなんじゃないって言ってるだろ。」 「ちょ・・・平次、何言っとんの?」 「ちょーどええ、和葉。オマエここではっきりせい。」 「何?」 「小嶋をとるか、オレをとるかや。オマエがはっきりせんから、 こういう勘違いヤローが出てくるんじゃ。」 「平次、何それ? ようわからんけど?」 「えーからっ、小嶋かオレか。ホレ、はっきり答えんかい!」 「・・・・・・・」 「和葉っ!」 「・・・・・・・」 「オイ! 和葉!」 「遠山・・・・・」 3人の間に無言の時間が流れる。 しばらくして、和葉の小さな声が聞こえた。 「・・・・・平次や。平次に決まってるやん!!」 「そういう事や、小嶋。もう二度とコイツに近づくな!」 「服部、何言ってるんだ。これからだって俺は教師で、お前たちは生徒。 それは変わらない、卒業するまではな・・・・ じゃ、遠山。オープンキャンパス行きの引率は中止だから、お父さんに 説明しておいてくれ。」 「はい、すみませんでした。」 「じゃ、2人とも新学期に・・・・・」 そう言い残し、小嶋は立ち去った。 2人はそれを見送り、なんとなく気まずい雰囲気の中、 平次は和葉の腫れた頬に手を伸ばした。 「痛むか? でもオレは謝らんぞ。」 「平次・・・・・先生か平次を選ぶって、どういうことなん?」 「・・・・・オマエまさか、あの状況で何もわかっとらんかったのか?」 「へ? やって平次やお父ちゃんに外出禁止されとったのに、勝手に東京に 行こうとしてたんを怒っとったんやろ?」 「・・・・・・・」 「なぁ、平次―?」 「オマエ、そんなに東京のオープンキャンパス行きたいんか?」 「うん、蘭ちゃんと約束しとったし、同じ大学行きたいし・・・・・」 「・・・・・しゃーないなぁ。・・・・・連れてったる。」 「ほんま、平次!? 嬉しい〜!! あ、そういえば、小嶋先生も東京の学校に移るかもって言っとったよ。」 「何やて、小嶋が? ・・・・・あかん!」 「は? 何が?」 「東都大。ちゅーか、東京の大学なんて行かん。ヤメや、ヤメ。」 だからオマエの東京の大学行きも、全部中止やっ!」 「な、何勝手に決めとんの! アタシの人生やー。」 「ほなオマエは、大阪に残るオレを置いて、ねーちゃんと同じ東京の大学行くんか?」 「そ・・・・・それは・・・」 「オレかねーちゃん、どっち取るんかいっ!」 「んもー、平次さっきから、どっち取るんか?ばっかりやん。」 「うっさい! で、どっちや?」 「・・・・・平次に決まってるやん。誰と比べたって平次って答えるの わかっとって言ってるんやろーーアホ。」 そう言って恥ずかしそうに家にかけこむ和葉。 その後姿を見ながら、いつまでたっても鈍感で危なっかしく、 どんなときでも目が離せない和葉のことを、口には出さないが大切に思う平次。 新一からの報告がなければ、とんでもない事になっていた。 なんとか小嶋との第2ラウンドも勝ちで終わらせた平次は、 この先、和葉が原因で起こるであろう様々なトラブルを想像し、大きな溜息をついた。 あらためて気を引き締めなおし、和葉の後を追い家に入った。 その頃、小嶋の携帯にメールが届いた。 『先生、いろいろすみませんでした。 でも本当は一緒に行けるの、楽しみだったんです。 では2学期に。』 卒業まで、まだ半年以上ある。 そう思い、小嶋は心の中で笑った。 終 |